大阪教会礼拝プログラム
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  ★礼拝に出席される皆様★
 ・代表祈祷は必ずマイクを使用し手で持ってください。
 ・使用したスリッパは棚に戻さず専用の箱に返却ください。

第24主日礼拝式順序 2024年6月16日 午前10:30〜

1.黙祷・・・一 同
2.賛美300 御恵み豊けき (信頼) ・・一同起立
3.使徒信条・・一  同
4.主の祈り・・一  同
5.祈祷・・・・一同着席
6.賛美515 わが罪のために (永遠) ・・一同起立
7.三大祷告
 再   臨
 イスラエル
 日   本
8.聖書・・・・司 会 者
9.メッセージ・・・ 寺東真也師
 主題 「弟子は師に勝らず」
     使徒22:22〜29新約P.282
     マタイ10:24〜33新約P.19

講壇 「弟子は師に勝らず」
  聖句 使徒22:22〜29
     マタイ10:24〜33

『弟子は師以上の者ではなく、しもべも主人以上の者ではありません。弟子は師のように、しもべは主人のようになれば十分です。家の主人がベルゼブルと呼ばれるくらいなら、ましてその家の者たちは、どれほどひどい呼び方をされるでしょうか。』(マタイ10:24〜25)
 パウロがエルサレムに帰るに際し、そこに苦難が待ち受けていることは、周知の事実でした。そして、それはアジアからやってきたユダヤ教徒によって暴動が誘発され、パウロは命の危険にさらされたのです。しかし、主の守りのゆえに、千人隊長が遣わされ、危険から守られたばかりか、証をする機会を得たのでした。パウロの証に最初は静かに耳を傾ける群衆でしたが、異邦人にパウロが遣わされた証から一変し、またもや、パウロに対する暴言を叫び始めたのでした。

◯私たちの霊の戦い

 私たちが、クリスチャンになったと言うことは、一面いおいては、祝福といのちに溢れた生涯に招かれたと言えます。しかし、もう一面においては、苦難と戦いの人生が始まったとも言えます。イエス様は、12弟子を遣わされる際に、こう言われました。
「弟子は師以上の者ではなく、しもべも主人以上の者ではありません。」(マタイ10:24)
 師であるイエス様が素晴らしい働きをされてもなお、信じない人々は、イエス様をベルゼブル(悪魔の王)扱いしたのですが(マタイ12:24)、そうであるならば、弟子であるあなた方は、ひどい呼ばれ方、扱いを受けると言われたのです。
 パウロは次のように言われました。
「こんな男は、地上から除いてしまえ。生かしておくべきではない。」(使徒22:22)
 イエス様も、十字架に架かられる前に群衆から次のように叫ばれました。
「除け、除け、十字架につけろ。」(ヨハネ19:15新約P.225
 私たちには世の戦いがあります。それは、主も戦われた戦いでもあります。そして、その戦いに主はすでに勝利してくださったのです(ヨハネ16:33)。

○天の特権

 民衆があまりにも、喚き、上着を放り投げ、ちりを空中に撒き散らすので、千人隊長はパウロを兵営の中に引き入れ、なぜ、民衆がここまで怒り狂っているのかを調べる為にパウロをムチで打って取り調べるように兵士に命令しました。ローマ兵がパウロをムチで打とうとした時、パウロは側にいた百人隊長に、パウロ自身がローマの市民権を持っている旨を伝えました。そこから、ローマ兵達の態度が一変します。すぐさま、千人隊長にその事が伝えられ、千人隊長も驚きを隠せず、なぜ、パウロが市民権を持っているのかを問い質したのでした。千人隊長でさえ、大金でこの市民権を買ったようですが、パウロは生まれつきの市民だったのです。ローマの市民権には大きな特権が伴うのです。
 本来ならば、イエス様は天の特権をお持ちの方です。しかし、その特権をこの地上で行使されませんでした。ゲッセマネの園にて逮捕された際にも、弟子達をたしなめ、特権行使をしない訳を語られています(マタイ26:53〜54)。それは、聖書の約束である救いが成就される為だったのです。
 クリスチャンも天の特権にあずかる者たちです。時に、奇跡を体験し、癒しを体験し、悪霊さえも震えて逃げ出すほどのみことばの権威と力を行使する事ができるのです。でも、イエス様は、そのような特権の力を喜ぶのではなく。天に名が記されていることを喜ぶようにと教えてくださいました(ルカ10:20)。
 私たちの師匠であり、主人はイエス様です。このお方に似たものとして成長させていただく事が、私たちの本分なのです。
  
10.祈祷・・・・・・一  同
11.献金397 神の御子にます イエス (献身)・・・・一同
12.感謝祈祷 ・・指 名
13.頌栄63 父 御子 御霊の(過去の礼拝録音です) 一同起立
14.祝祷・・・・・・寺東真也師
15.報告・・・・・・司会者

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第23主日礼拝式順序 2024年6月9日 午前10:30〜

1.黙祷・・・一 同
2.賛美427 ただ主を (証し) ・・一同起立
3.使徒信条・・一  同
4.主の祈り・・一  同
5.祈祷・・・・一同着席
6.賛美特選6・・一同起立
7.三大祷告
 再   臨
 イスラエル
 日   本
8.聖書・・・・司 会 者
9.特別賛美・・聖 歌 隊 10.メッセージ・・・ 寺東真也師
 主題 「主が遣わされたから」
     使徒22:1〜21新約P.281

講壇 「主が遣わされたから」
  聖句 使徒22:1〜21

「すると主は私に、『行きなさい。わたしはあなたを遠く異邦人に遣わす』と言われました。」(使徒の働き22:21)
 パウロはエルサレムにおいてユダヤ教徒のでっち上げの訴えを発端とした混乱の只中にいました。しかし、神様はローマ兵を通して、その混乱から救い出されました。また、パウロは転んでもタダでは起きません。千人隊長から発言する機会を得て、自分を殺そうとしていたユダヤ人達に対して語り出したのです。それは、パウロの「証」でした。

◯生い立ちと過去(3〜5節)

 パウロは現トルコ南部に位置するキリキアのタルソに生まれ、一流のラビであるガマリエルのもとで律法を学びました。そして、熱心なパリサイ派に属し、クリスチャンを迫害したのでした。そして、ある日、大祭司からダマスコの諸会堂宛の手紙をもらい、クリスチャン達を縛り上げ、エルサレムに連行して処罰するために意気揚々と出かけたのでした。パウロはクリスチャンにとって脅威の人物であったのです。そして、その事を包み隠さず述べたのです。

○イエス・キリストとの出会い(6〜11節)

 ダマスコへの途上で、パウロは光に包まれ、その光の中からら声がしたと言います。
「サウロ、サウロ、どうしてわたしを迫害するのか。』(7節)
 パウロは声の主に誰かを尋ねると、あなたが迫害しているナザレのイエスであると応答がありました。そして、ダマスコに行くように指示を受け、そこで、パウロがすべき事を告げると言われたのです。パウロは輝きのゆえに目が見えなくなったので、手を引かれてダマスコに行きました。衝撃的なイエス・キリストの出会いを経験したのですが、パウロにとって青天の霹靂であったことでしょう。

◯回心(12〜16節)

 ダマスコでパウロはアナニアと出会います。そして、彼を通して、見えない目が癒されたのです。
 実は、ここまでは、使徒9章にも記されていますが、ここからは、9章に記されていない側面の証が記されているのです。
 それは、神の御心を知り、神を見て、聞いて、その事を明かしする証人となると言う事でした(14、15節)。そして、バプテスマを受けるように勧められたのです。
 パウロにとって救いと召命が一度にきた印象深い経験であったことでしょう。

○異邦人伝道への召し(17〜21節)

 パウロの証では端折られていますが、ダマスコでの宣教で命を狙われたパウロは弟子達によって街の外へ籠で脱出させてもらい、エルサレムへと逃れました(使徒9:23〜25)。しかし、エルサレムでもギリシャ語を使うユダヤ人に宣教した結果、そこでも、命を狙われるのですが(使徒9:28〜29)、ここで、主からの直接的なエルサレムを出る導きと、異邦人伝道への召しをいただいたのでした(18〜21節)。パウロにとって迫害していたクリスチャンよりも、元仲間であったユダヤ教徒達の方が、受け入れてくれて伝道のチャンスになるのではないかと考えていたのでしょう。しかし、神様はパウロの思い描く願いとは正反対の道に導かれたのです。

○聞き従う事は献げものにまさる(第一サムエル15:22旧約P.505

 パウロの素晴らしさは、その優秀さにあるわけではありません。神様の召しを最優先して聞き従う道を歩み続けた事なのです。彼の証は、主が私を救い、召し、遣わされたと言うものだったのです。
  
11.祈祷・・・・・・一  同
12.献金401 悲しめる者に (献身)・・・・一同
13.感謝祈祷 ・・指 名
14.頌栄63 父 御子 御霊の(過去の礼拝録音です) 一同起立
15.祝祷・・・・・・寺東真也師
16.花の日感謝・・・寺東真也師
17.報告・・・・・・司会者

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第22主日礼拝式順序&聖餐式 2024年6月2日 午前10:30〜

1.黙祷・・・一 同
2.賛美231 いさおなき われを (救い) ・・一同起立
3.使徒信条・・一  同
4.主の祈り・・一  同
5.祈祷・・・・一同着席
6.賛美329 御国への道 歩むとき (信頼) ・・一同起立
7.三大祷告
 再   臨
 イスラエル
 日   本
8.聖書・・・・司 会 者
9.メッセージ・・・ 寺東真也師
 主題 「人生の難局を乗り切る秘訣」
     使徒21:27〜40新約P.280
     ローマ15:30〜32新約P.323

講壇 「人生の難局を乗り切る秘訣」
  聖句 使徒21:27〜40
     ローマ15:30〜32

『兄弟たち。私たちの主イエス・キリストによって、また、御霊の愛によってお願いします。私のために、私とともに力を尽くして、神に祈ってください。私がユダヤにいる不信仰な人々から救い出され、エルサレムに対する私の奉仕が聖徒たちに受け入れられるように、』ローマ15:30〜31
 パウロはエルサレムに到着後、ユダヤ人クリスチャンの中で、まことしやかに噂されていた、誤解を解くために、誓願を立てている4人のものたちの髪を剃る費用を出してあげることにしました。
 きよめの期間が過ぎパウロは宮に行きました。その時です。アジアから来たユダヤ人たちが、根も葉もないことを叫び始めたのです。

◯色眼鏡で人を見る愚かさ

 クリスチャンであっても、あらぬ噂がたつほどでしたので、クリスチャンでないユダヤ人にとって、パウロの宣教活動は赦せない行為となりました。
 エペソでの宣教をしていた際にも、ユダヤ人におけるは迫害や妨害があったのですが、そのユダヤ人たちが、あえて、エルサレムまで追いかけてきて、パウロの邪魔をしようとしていたのです。そして、ある光景を目撃します。それは、エサレム教会への献金を届ける使節団の一人であったエペソ人トロフィモ(使徒20:4)と町で一緒に歩いているところでした。五旬節の祭りがあったこともあり、普段よりも異邦人がエルサレムにいることは特段おかしなことではありません。しかし、パウロに対して敵対感情を持っていたユダヤ人の目には、憶測が憶測を呼び、ついに、決めつけによる訴えがなされたのです。

「イスラエルの皆さん、手を貸してください。この男は、民と律法とこの場所に逆らうことを、いたるところで皆に教えている者です。そのうえ、ギリシア人を宮の中に連れ込んで、この神聖な場所を汚しています。」(28節)

 先入観で人を判断することや、レッテルを貼りつける事は、百害あって一利なしです。

○助け手が備えられる

 この叫びは宮にいるユダヤ人たちを激怒させるのに容易な事でした。人々は殺到してパウロを捕らえ、宮の外に問答無用で引きずり出し、パウロを殺そうとしていました(30節)。
 この怒りの様相は周りにいる人たちにも伝染し町中がパニックに陥ったのです。その事が、ユダヤに駐屯しているローマ軍の千人隊長のクラウディウス・ルシア(使徒23:26)の耳に入ったのです。クラウディウスは速やかに百人隊長と兵士を率いて駆けつけました。人々は、彼らを見て、パウロに暴力を振るうのをやめたのでした。
 クラウディウスはすぐさま、パウロを捕らえて鎖をかけ、群衆に対して、パウロの容疑は何なのかを問いただしました。しかし、彼らの言い分は、食い違い、混乱の様相しか呈していなかったのです(33〜34節)。ただ、分かるのは、すべて、パウロに対する強い殺意を持っているという事でした(35〜36節)。
 この時、クラウディウスは一つの仮説を立てていました。それは、最近、暴動を起こし、荒野に四千人の暗殺者を引き連れていったエジプト人なのではないかという事です。しかし、パウロは流暢にギリシャ語を話し、民衆にはヘブル語で話しかける姿を見て考えを改めるのでした。
 何はともあれ、もし、もう少しでもクラウディウスの到着が遅ければ、パウロの命は危なかったでしょう。間一髪のところで、守られたのです。それは、偶然ではなく、祈りの結果と言えます。パウロは、ローマ宣教を確信しながらも、主の守り無くしては成し得ない事と分かっていたので、ローマの教会へ祈りの要請をしていたのでした(ローマ15:30〜31)。
 私たちも祈りをもって、人生の難局を乗り切らせていただきましょう。
  
10.祈祷・・・・・・一  同
11.聖餐式49 しみも咎も(聖餐)・・・・寺東真也師
12.献金248 人生の海の嵐に (平安)・・・・一同
13.感謝祈祷 ・・指 名
14.頌栄63 父 御子 御霊の(過去の礼拝録音です) 一同起立
15.祝祷・・・・・・ 寺東真也師
16.報告・・・・・・司会者

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第21主日礼拝式順序 2024年5月26日 午前10:30〜

1.黙祷・・・一 同
2.賛美155 御位を降り (賛美) ・・一同起立
3.使徒信条・・一  同
4.主の祈り・・一  同
5.祈祷・・・・一同着席
6.賛美420 雨を降り注ぎ (リバイバル) ・・一同起立
7.三大祷告
 再   臨
 イスラエル
 日   本
8.聖書・・・・司 会 者
9.メッセージ・・・ 寺東真也師
 主題 「何人かでも救うため」
     使徒21:15〜26新約P.279
     第一コリント9:19〜22新約P.339

講壇 「何人かでも救うため」
  聖句 使徒21:15〜26
     第一コリント9:19〜22

『すべての人に、すべてのものとなりました。何とかして、何人かでも救うためです。』第一コリント9:22
 パウロはカイサリアでの滞在を終え、エルサレムに上りました。エルサレムでも歓迎を受け、エルサレム教会の代表者となっていた、イエス様の弟のヤコブを訪問しました(15〜18節)。ここで、一つの目的であった、マケドニア地方の諸教会が献げた献金を正式に手渡した事でしょう。

◯エルサレム教会のきよめ

 パウロは続いて、第三次宣教旅行で、異邦人の上になされた主の御業を報告しました。この報告を聞いたヤコブとエルサレムの長老たちは神を褒め称え、喜んだのです。ユダヤ人から始まった、救いの御業は異邦人へと広がり、異邦人の中で多くの実を見ることになったのです。それと反比例して、エルサレム教会は迫害の中で、貧しさと苦難の中にありました。しかし、エルサレム教会の長老たちは、異邦人の救いを心から喜べるようになったのです。自分が涙の谷を通る時に、他者の祝福を喜べるのは主の素晴らしいきよめの恵みです(ローマ12:15新約P.318)。

○エルサレム教会の弱さ

 エルサレム教会には弱さも存在ました。エルサレム教会にはユダヤ人でイエス・キリストを救い主として信じたものが何万といたのですが、律法に大変熱心であったと言います。ユダヤ人が律法に熱心なことは決して罪ではありません。しかし、今回はその熱心さが仇となり、パウロに対する偏見から、根も歯もない噂が広がってまことしやかにつぶやかれるようになっていたのです。
「ところが、彼らがあなたについて聞かされているのは、あなたが、異邦人の中にいるすべてのユダヤ人に、子どもに割礼を施すな、慣習にしたがって歩むなと言って、モーセに背くように教えている、ということなのです。」(21節)
 いつの世にも、教会の中でさえ、噂話をする者、噂話に耳を傾ける者、広げる者がいて、それは、教会を破壊する働きになり得るのです(第一テモテ5:13新約P.422)。

○弱い人々のために

 長老たちは、パウロに対して、噂を聞き、信じてしまっている人々の誤解を解くために、一計を案じました。それは、誓願を立てている四人のユダヤ人クリスチャンたちの頭を剃る費用をパウロが出すというものでした。これは、おそらくナジル人の誓約における儀式でした(民数記6:1〜21旧約P.245)。
 第一次宣教旅行の後、物議を醸した福音の根幹を揺るがす問題が起こりましたが、それは、異邦人が救われるためにイエスキリストへの信仰に加えて、律法を守る必要があるというものでした、しかし、それはエルサレム会議で、否決され、偶像礼拝と倫理規定のみ書き送られました(25節)。今回は、その時の問題と似て非なるもので、律法を大切にするあまり、の誤解から生じたパウロへの不信感を取り除くための方法でした。
 反対に言えば、多くのユダヤ人はクリスチャンになっても、ユダヤ人であれば、「救いの条件と言わずとも、律法を順守すべき」という弱さを持っていたのです。

○何人かでも救うため

 パウロ自身は律法を守り行わなければならないというしがらみからは解かれていました。しかし、律法を大切にしているユダヤ人を躓かせない為に、この儀式に参加を決めたのです。その動機は、キリストに導き、救われる人が何人かでも起こされる為ならば、罪でなければ、譲れるものは譲り、できることは、何でもするという宣教ファーストの熱心さで溢れていたからです。
  
10.祈祷・・・・・・一  同
11.献金435 罪に沈む汝が友に (宣教)・・・・一同
12.感謝祈祷 ・・指 名
13.頌栄63 父 御子 御霊の(過去の礼拝録音です) 一同起立
14.祝祷・・・・・・ 寺東真也師
15.報告・・・・・・司会者

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第20主日ペンテコステ礼拝式順序 2024年5月19日 午前10:30〜

1.黙祷・・・一 同
2.賛美132 ペンテコステの日に (聖霊) ・・一同起立
3.使徒信条・・一  同
4.主の祈り・・一  同
5.祈祷・・・・一同着席
6.賛美148 夕べ雲焼くる (再臨) ・・一同起立
7.三大祷告
 再   臨
 イスラエル
 日   本
8.聖書・・・・司 会 者
9.特別賛美・・聖 歌 隊
10.メッセージ・・・ 寺東真也師
 主題 「風は己が好むところに吹く」
     ヨハネ3:1〜15新約P.179

講壇 「風は己が好むところに吹く」
  聖句 ヨハネ3:1〜15

『風は思いのままに吹きます。その音を聞いても、それがどこから来てどこへ行くのか分かりません。御霊によって生まれた者もみな、それと同じです。』(ヨハネ3:8)
 

◯変えられたニコデモ

 イエス様のもとにニコデモが夜中にやってきました。ニコデモはパリサイ人であり、しかもサンヘドリン(ユダヤ人の最高議会)の有力な議員でした。ほとんどの議員が反イエス派であったのに対し、ニコデモだけは真理を求めており、イエス様にもとに人目を盗んでやってきたのです。
 そこでイエス様は地上の表現を使ってニコデモに救いの真髄を話されたのです。
 「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」(ヨハネ3:3)
 しかし、ニコデモはその意味する事を理解できず、悩みました。
 そこで、イエス様はニコデモにモーセの時代の荒野の蛇のたとえを持って、御自分こそ上げられる存在であり、御自分を信じる者は救われ、いのちを持つのだと教えられたのです(ヨハネ3:13〜15)。
 ニコデモはここから徐々に変えられ、サンヘドリンでも議会に一言物申し(ヨハネ7:50〜52)、人目をはばからないで、イエス様の埋葬を進んで行いました(ヨハネ19:39〜40)。

○風と息

 ニコデモとの会話の中で、新しく「御霊によって生まれる」ことを教える時に、
「風は思いのままに吹きます。その音を聞いても、それがどこから来てどこへ行くのか分かりません。御霊によって生まれた者もみな、それと同じです。」(ヨハネ3:8)
 と言われました。聖書では風や息と言う言葉は同じ単語が使われています。そしてそれは聖霊を意味する事が多いのです(創世記2:7旧約P.3、エゼキエル37:9旧約P.1482)。私たちの救いは聖霊の導きが必須であるのです(第一テサロニケ1:5〜6新約P.408)。

○聖霊に喜ばれる教会に

 今日の御言葉を文語訳にはこう訳されています。
「風は己が好むところに吹く」
 聖霊は一位格をお持ちであり、ただの超常パワーのようなものではありません。常に私たちを気遣い、導いてくださっています。しかし、無理やり導かれるお方ではありません。聖霊を心の隅っこにおいやってしまう事も可能です。また反対に、聖霊をいつも敬い、心の王座に迎えることも可能なのです。
 私たちが勝利の人生を送る為には聖霊に満たされなければなりません。この聖霊様の導きによって更に主に用いられる器とさせていただきましょう。そのために

1. 聖霊を悲しませない(エペソ4:30新約P.389)

 聖霊をおいやってしまったり、罪を犯してしまうならば、聖霊はとても悲しまれます。聖霊を傷つけるような、行動、考え、態度などに気をつけるべきです。聖霊はそのような中では働かれることはありません。

2. 聖霊に喜ばれるように(ガラテヤ5:16新約P.382

 さらに聖霊を悲しませないだけでなく、積極的に聖霊に喜ばれるものになりましょう。
 聖霊様は風にたとえられます。聖霊様は御自分の好まれるところに吹きまくってくださいます。たとえ問題があろうと、なかろうとそれは問題ではありません。私たちは聖霊様の好みに敏感になりましょう。
  
11.祈祷・・・・・・一  同
12.献金414 主は力をわれに注ぎ (聖霊)・・・・一同
13.感謝祈祷 ・・指 名
14.頌栄63 父 御子 御霊の(過去の礼拝録音です) 一同起立
15.祝祷・・・・・・ 寺東真也師
16.報告・・・・・・司会者

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第19主日礼拝式順序 2024年5月12日 午前10:30〜

1.黙祷・・・一 同
2.賛美136 御霊よ降りて (聖霊) ・・一同起立
3.使徒信条・・一  同
4.主の祈り・・一  同
5.祈祷・・・・一同着席
6.賛美特選5 ・・一同起立
7.三大祷告
 再   臨
 イスラエル
 日   本
8.聖書・・・・司 会 者
9.特別賛美・・聖 歌 隊
10.メッセージ・・・ 寺東真也師
 主題 「みこころがなりますように」
     使徒21:1〜14新約P.278
     ルカ22:42新約P.167

講壇 「みこころがなりますように」
  聖句 使徒21:1〜14
     ルカ22:42

『父よ、みこころなら、この杯をわたしから取り去ってください。しかし、わたしの願いではなく、みこころがなりますように。』(ルカ22:42新約P.167
 エペソの長老たちへの最後のメッセージを終え、パウロたちはミレトスから船出し、コス島、ロドス島を経て、パタラに渡りました(1節)。そこで、フェニキア行きの船に乗り換え、キプロス島を横目にシリアのツロ着いたのでした(3節)。
 いよいよ、エルサレムが近づいてきているタイミングでしたが、ツロで1週間滞在し(4節)、その後、さらに船でプトレマイスに南下し、そこで1日滞在し(7節)、そこからカイサリアに行きました。カイサリアでは、かなりの期間を過ごしたと記されています(10節)。これは、おそらく予定よりも早く着いたことと、各地の弟子たち(クリスチャン)との交わりを大切にしたからです。

◯御霊が告げる

 パウロは第三次宣教旅行の中で、聖霊に与えられたビジョンがありました。それは、エルサレムに行くこと、そして、その後にローマに行くことでした(使徒19:21)。もちろん、それは、福音宣教のためにです。そして、それには、苦しみと鎖が伴い、いのちが脅かされることも覚悟のうえであった事を告白しています(使徒20:22〜24)。
 しかし、このエルサレムを前にして、御霊は、弟子たちに預言を与えて、パウロがエルサレムに行くならば何が起こるのかを伝えさせたのです。

1. ツロにおいて

 ツロの弟子たちは、パウロに対する、エルサレムで待っている困難を知り、1週間の滞在期間中、パウロのためを思って、エルサレムに行かないように繰り返し言い続けました(4節)。

2. カイサリアにおいて

 カイサリアにはエルサレム教会の初代執事7名のうちの1人で、信徒伝道者ピリポがいました(使徒6:5)。彼は、サマリア宣教で多くの実を結び(使徒8:5)、その後、ガザでエチオピアの宦官を救いに導き、御霊によってアゾトに現れてからカイサリアに移り住み、この時に至っています(使徒8:26〜40)。彼は、そこで結婚し、預言をする四人の娘が与えられていました(8〜9節)。
 このピリポの家に滞在していると、まだ宣教旅行に行く前に、アンティオキアで知り合っていた預言者アガボがやってきたのです。彼は、クラウディウス帝の時に起こった大飢饉を預言した人物です(使徒11:28)。
 なんの預言をしに来たのかというと、やはり、エルサレムにおけるパウロの受難の預言でした。しかも、パウロ自身の帯を用いて自分の手足を縛り、ユダヤ人の陰謀で、異邦人に渡される事を明瞭に伝えたのです(11節)。すると、パウロの同行者たちも、カイサリアの弟子たちもこぞってエルサレム行きを反対し始めたのです(12節)。

◯人間的な思いと神の思い

 ツロの弟子たちも、カイサリアの弟子たちとパウロの同行者たちも、パウロを思って、エルサレム行きに反対したのでしょう。それ自体が悪いわけではありません。しかし、人間的な思いが、神様のみこころがなされるのと同じとは限らないのです。
 イエス様の十字架に対して、ペテロも反対意見を述べたところきつく叱責されました(マタイ16:21〜23新約P.34)。
 パウロも弟子たちを嗜めています(13節)。
 人間の思いを超えた主のみこころを求めて祈るものならせていただきましょう(ルカ22:42)。
  
11.祈祷・・・・・・一  同
12.献金394 成し給え汝が旨 (献身)・・・・一同
13.感謝祈祷 ・・指 名
14.頌栄63 父 御子 御霊の(過去の礼拝録音です) 一同起立
15.祝祷・・・・・・ 寺東真也師
16.小学生祝福式 ・・ 寺東真也師
17.報告・・・・・・司会者

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第18主日礼拝式順序&聖餐式 2024年5月5日 午前10:30〜

1.黙祷・・・一 同
2.賛美261 流し給いし (救いの喜び) ・・一同起立
3.使徒信条・・一  同
4.主の祈り・・一  同
5.祈祷・・・・一同着席
6.賛美314 天つ国を指して (信頼) ・・一同起立
7.三大祷告
 再   臨
 イスラエル
 日   本
8.聖書・・・・司 会 者
9.メッセージ・・・ 寺東真也師
 主題 「教会を建てあげるために」
     使徒20:28〜38新約P.277
     黙示録2:7新約P.492

講壇 「教会を建てあげるために」
  聖句 使徒20:28〜38
     黙示録2:7

『今私は、あなたがたを神とその恵みのみことばにゆだねます。みことばは、あなたがたを成長させ、聖なるものとされたすべての人々とともに、あなたがたに御国を受け継がせることができるのです。』使徒20:32
 パウロは第三次宣教旅行の復路において、ミレトスからエペソの長老たちを呼び寄せ、彼らへの最後のメッセージを行いました。今日は、そのメッセージの後半部分からみことばに聞きましょう。

◯長老たちへ

 メッセージの後半の主な内容は、長老たちへの助言と勧めです。長老たちとは、教会のリーダーたちの事です。自分は教会のリーダーではないので関係がないと思わないでください。ここで伝えられた大切な教えは教会全体で分かち合われエペソ教会にとって礎となり、骨組みとなったのです。

1.自分自身と群れ全体に気を配れ

 教会が教会として相応しく歩むためには、教会全体が霊的に健全であることが求められます。
 イエス様はご自身を良い羊飼いであると例え(ヨハネ10:11新約P.202)、ダビデは主を牧者と仰ぎ、自らを牧される羊になぞらえて歌いました(詩篇23篇旧約P.954)。大牧者なる主イエス様は、この働きをイエス様の体なる教会に権威をもって委ねられたのです。そして、教会に立てられた牧師や長老、リーダーがその牧会に責任を持ち、互いの霊的成長と健全化のために共に信仰生活をするのです。
 パウロは自分の去った後のことを容易に想像できました。それは、「凶暴な狼」が教会に入り込んで容赦無く群れを荒らし回ることです(29節)。また、教会の中から真理ではない曲がった事を語るものが現れるというのです(30節)。実際、すでに教会の内外から、教会は攻撃されていた現実があったからです。
 そこで、自分自身と群れの全体に気を配る事でした。まず、自分自身が霊的に健康健全でなければ、他者に仕えることはできません。まずは、自分が大牧者なるイエス様にしっかりと繋がり続けることです。そして、自分を愛するように隣人であり、神の家族である兄弟姉妹である群れに気を配り、愛し仕えるのです。それぞれが、イエス様に繋がり、互いに支え合う姿こそ、キリストの教会の目指すべき姿です。

2.神とみことばにゆだねる

 パウロがした事は、三年間、みことばを語り、訓戒し続けたのです。神様が立てられた器ごとに賜物や個性があります。それらが用いられる事は素晴らしい事です。ただ、それらは、肉付けであって、骨子であり、最も重要なことは、みことばなのです。最終的に、パウロはエペソの教会から出発しなければならず、肉体的にはもう二度と顔を見ることはできない状況にありました。その際にしたことは、みことばにゆだねる事でした。なぜならば、みことばこそ、御国を受け継がせることができる鍵だからです。

3.与える幸い

 最後にパウロは与える幸いを説きました。パウロ自身躓かせない為に、働きながら伝道をし、さらには、弱い者を助ける為に、積極的に働いたというのです。これは、イエス様の
「受けるよりも与えるほうが幸いである」(35節)
という教えを大切にしていたからです。イエス様自身が、ご自分の命さえ与える為に、この世に来られたお方だからです。

◯教会を建てあげよ

 教会は愛によって建てあげられます。エペソの教会はその後、失敗した事があります。それは初めの愛から離れてしまった事です(黙示録2:4)。しかし。もう一度悔い改め、初めの愛(キリストの愛)に立ち返れば良いのです。
  
10.祈祷・・・・・・一  同
11.聖餐式49 しみも咎も(聖餐)・・・・寺東真也師
12.献金441 望みは失せ (試練)・・・・一同
13.感謝祈祷 ・・指 名
14.頌栄63 父 御子 御霊の(過去の礼拝録音です) 一同起立
15.祝祷・・・・・・ 寺東真也師
16.報告・・・・・・司会者

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第17主日礼拝式順序 2024年4月28日 午前10:30〜

1.黙祷・・・一 同
2.賛美344 なおも御恵みを (恵みの成長) ・・一同起立
3.使徒信条・・一  同
4.主の祈り・・一  同
5.祈祷・・・・一同着席
6.賛美462 聖書も時の徴も (再臨) ・・一同起立
7.三大祷告
 再   臨
 イスラエル
 日   本
8.聖書・・・・司 会 者
9.特別賛美・・・・聖 歌 隊
10.講師紹介・・・ 寺東真也師
11.メッセージ・・・ 笹川洋史師
 主題 「恵みによって、縛られない強い人になる」
     ヨナ2:1〜4旧約P.1578

講壇 「恵みによって、縛られない強い人になる」
  聖句 ヨナ2章

ヨナは魚の腹の中から、自分の神、主に祈った。
「苦しみの中から、私は主に叫びました。すると主は、私に答えてくださった。」(ヨナ2:1〜2)
 ヨナ書2章は、ヨナが魚の腹の中で、どのように過ごしたのかが記されています。決して神話ではなく、イエス様がヨナのしるしとして、例話にしている重要な経験です。

1.自分の思いどおりにならないことに縛られています。

○海に投げ込まれたヨナは、溺れていく過程を正確に記憶しています(3)。潮に流され、波にもまれます。海底にまで沈んでいきます。(4)
○「主の御顔を避け」た結果、神さまと歯車がかみ合わない「苦しみの中」(1)にありました。自分の無力さを痛感する時が、強くなるきっかけになります。
○不満にあふれた苦しみの状態では、力強く歩むことができません。あなたは、思いどおりにならない不満を抱え込んでいませんか。

2.縛られているところから解放してくださる方がおられます。

○海に投げ込まれたら、沈んで溺れて死んでしまうのが、自然の法則です。ヨナは、「滅びの穴」(6)まで行ったと自覚しています。この絶望的な状況から「引き上げられました」(6)。自然法則が覆されて、魚の腹で過ごすというあり得ない状況がもたらされました。
○どんな状況でも主の計画に中にあることを覚えるときに、強くなることができます。うまく進んでいないように見えても、主は見捨てることなく良い計画を進めてくださいます。
○主が共におられることがわかると、神さまと結び合わされている愛の関係になっていると悟ることができます。あなたは、すぐにあきらめて、むなしい心になっていませんか。

3.縛られないで歩む恵みの方法があります。

○ヨナは、「御顔を避け」た状態ではなく、主を思い出し、主に叫び求めます。大胆に「聖なる宮を仰ぎみたい」と祈ります。(4)
○「自分への恵みを捨て去ります」(8)と、自分の最大の問題点を告白します。主の恵みを勘違いして捨ててしまうと、真の神の力を発揮できないことになります。
○あたりまえだと思っていることが、実はあたりまえのことではなく、主の恵みだったと気づくことが、強い人になる方法です。あなたは、すべてのことに感謝することが習慣になっていますか。
●この世の価値観に縛られていないか、チェックしましょう。主にある聖い者となって、主の恵みに生かされて歩みましょう。
  
12.祈祷・・・・・・一  同
13.献金339 恵みの高き嶺 (恵みの成長)・・・・一同
14.感謝祈祷 ・・指 名
15.頌栄63 父 御子 御霊の(過去の礼拝録音です) 一同起立
16.祝祷・・・・・・ 笹川洋史師
17.報告・・・・・・司会者

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第16主日礼拝式順序 2024年4月21日 午前10:30〜

1.黙祷・・・一 同
2.賛美271 ひと度はわれも (救いの喜び) ・・一同起立
3.使徒信条・・一  同
4.主の祈り・・一  同
5.祈祷・・・・一同着席
6.賛美470 懐しき住まい (天国) ・・一同起立
7.三大祷告
 再   臨
 イスラエル
 日   本
8.聖書・・・・司 会 者
9.メッセージ・・・ 寺東真也師
 主題 「聖なる負い目」
     使徒20:13〜27新約P.276

講壇 「聖なる負い目」
  聖句 使徒20:13〜27
     ローマ1:14

『私は、ギリシア人にも未開の人にも、知識のある人にも知識のない人にも、負い目のある者です。』ローマ1:14
 パウロはトロアスからアソスへ陸路で行き、アソスから船に乗ってエーゲ海に浮かぶ島レスボス島のミティレネに行きました。そして、さらに船で、キオス島の沖を通ってサモス島に立ち寄り、ミレトスに至りました。このミレトスは、エペソから直線距離で五、六十キロ南の町です。
 パウロはあえてエペソに立ち寄りませんでした。それは、五旬節(ペンテコステ)までにはエルサレムに着いていたかったので、アジアで時間を取られないようにする為でした。反対にいうと、パウロはエペソの教会を愛していたから、立ち寄ると時間がいくらあっても足らなくなるからでしょう。しかし、パウロは聖霊によって、2度とこの地に戻って来ることはできない事を知ったので(25節)、エペソの長老たちをミレトスに呼んで、告別説教をしたのです。今日はこの説教の前半からみことばに耳を傾けます。

◯謙遜の限りを尽くして仕えた(18〜21節)

 パウロはまず、エペソでの伝道生活について思い起こしてもらうために語ります。パウロのエペソでの戦況生活を一言でいうと「謙遜に仕えた」生活でした。自分自身を前面に押し出したものではなく、ひとえにイエス様を語り、伝えたのです。そこには、主が共に働き、驚くべき御業がなされ、救われる人々が続出し、エペソにとどまらず、アジア全土に及ぶほどでした(使徒19:10)。19章のエペソ宣教が記されている中で、スケワノ七人の子供である巡回祈祷師たちの傲慢さと、パウロの信仰の違いを如実に物語る結果が記されています(使徒19:15)。パウロが述べ伝えたのは、「神に対する悔い改めと、私たちの主イエスに対する信仰」だったのです。

◯御霊に縛られて(22〜25節)

 続いて、パウロは現状とこれからを語ります。ただエルサレムに向かっているのではありません。「御霊に縛られて」いると言うのです。人は誰しも縛られたり、自由を脅かされるのは嫌なのではないでしょうか。ペテロも復活のイエス様から取り扱いを受けた感動的な出来事の直後でさえ、自分の意に沿わない将来を語られると、他の人の事も気になってしまうのです(ヨハネ21:18〜22新約P.230)。
 しかし、パウロはこの世の儚い楽しみよりも、永遠の栄光と喜び、そして何よりも、キリストの愛に捉えられていたのです。聖霊は、パウロに具体的な将来を教えてはくださいませんでした。ただ、どの町に行こうが、鎖と苦しみが待っているということは示されたのです(23節)。それに対して、パウロは主の与えてくださる使命を果たすことができるならば、自分の命は惜しくないと本気で思えた事を証ししたのです(24節)。

◯血の責任を果たす(26〜27節)

 次に血の責任について宣言します。あなた方に対する血の責任はもう私にはないと。預言者エゼキエルに神様は、罪人に対しても、正しい人に対しても、神様が与えた使命を果たし、語る責任がある事を語られました(エゼキエル13:17〜21旧約P.1432)。
 キリスト教の新興宗教のように、語り伝え救いに導くことが、自分の救いにつながるという事を言っているのでは決してありません。救われたも者はすでに主のものであり、主なる神様は、ご自分のいのちよりも大切なひとり子を与えるほどに、全ての人々を愛さされたのです。その思いを知るならば、愛してくださった、愛する神様のために、受け入れてくれるか否かは関係なく、福音を伝えずにはいられなくなるのではないでしょうか。パウロは神様の愛に突き動かされて語ったのです。
  
10.祈祷・・・・・・一  同
11.献金432 北の果てなる (宣教)・・・・一同
12.感謝祈祷 ・・指 名
13.頌栄63 父 御子 御霊の(過去の礼拝録音です) 一同起立
14.祝祷・・・・・・ 寺東真也師
15.報告・・・・・・司会者

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第15主日礼拝式順序 2024年4月14日 午前10:30〜

1.黙祷・・・一 同
2.賛美129 ものみなこぞりて (復活) ・・一同起立
3.使徒信条・・一  同
4.主の祈り・・一  同
5.祈祷・・・・一同着席
6.賛美特選3・・・・一  同
7.三大祷告
 再   臨
 イスラエル
 日   本
8.聖書・・・・司 会 者
9.特別賛美・・聖 歌 隊
10.メッセージ・・・ 寺東真也師
 主題 「真実な礼拝」
     使徒20:7〜12新約P.276
     ヨハネ4:23〜24新約P.183

講壇 「真実な礼拝」
  聖句 使徒20:7〜12
     ヨハネ4:23〜24

『しかし、まことの礼拝者たちが、御霊と真理によって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。』(ヨハネ4:23)
 コリントにて3ヶ月間を過ごしたパウロは、エルサレムに向けて船に乗ろうと考えていました。しかし、ユダヤ人の陰謀があったので、来た道を引き返す形でマケドニアを通って帰ることにしました(3節)。種無しパンの祭りをピリピで過ごし、トロアスに向かいました。そして、トロアスで七日間過ごしたのです(6節)。

◯トロアス教会

 トロアスは、第二回宣教旅行の際、アジア及びビティニアで伝道する事を御霊に禁じられ、たどり着いた先の町でした(使徒16:6〜8節)。そして、そこでマケドニア伝道へと導かれたのです。トロアスが誰によって導かれたのかは、聖書は沈黙していますが、エペソ宣教の火がアジア全体に広がった際にトロアスにも福音は伝えられ、教会ができたのではないかと思います。

◯週の初めの日の礼拝

 教会では伝統的に主イエス・キリストが復活された週の初めの日である日曜日に礼拝をするようにしてきました(旧約におけるユダヤ教では律法に従い土曜日が安息日であり礼拝する日です)。トロアスの教会でも、神様を礼拝する日として日曜日を大切にしていたのでしょう。
 ただ、礼拝する「日」を論じる時に、律法的になる必要はありませんしすべきではありせん。賢く聞いていただきたいのですが、新約の恵みの時代に生きる私たちは、礼拝の日は何曜日であると定められてはいないからです。イエス様はサマリアの女との会話の中で、礼拝を論じられました。それは、決められた時間に、決められた場所で、決められたようにする律法的な礼拝ではなく、救われた喜びと感謝に溢れた心からの礼拝です(ヨハネ4:23〜24)。パウロもローマ人への手紙の中で、特定の日を大事にする人もいれば、どの日も大事だと考える人もいると書いています。そして、どちらが正解だと言うのではなく、それぞれに確信を持って、「主のために」している事なのだからそれは良しとされると言うのです(ローマ14:5〜6)。「主のため」が肝心であると。

◯飢え乾きをもって集まる

 初代教会の礼拝の中心は、聖餐と愛餐でした。神の家族として、共に集い、主が私たちの罪のために裂かれてくださった事(死)を覚えるためにパンを裂き、流してくださった血潮を覚えるために葡萄酒を飲んだのです。そして、感謝の愛餐をし、みことばを中心とした集いを持ったのです。そこには、霊的な飢え乾きと、身体的な飢え乾きを満たす恵みが満ち溢れていました。人々は、喜びと感謝を持って集ったのです。礼拝とは深いですね。

◯ユテコの悲劇と慰め

 トロアス教会にユテコという青年がいました。彼は名前からして奴隷であったようです。一日の労働を終え、遅ればせながらも神様を慕い、礼拝したくてやってきたのです。聖餐と愛餐の恵みにあずかり身も心もいっぱいになった後、パウロの告別説教に熱を帯び、夜中まで語り続けたのですが、人で溢れる部屋の窓の所に腰掛けていたユテコは睡魔に襲われ、三階から落下してしまったのです。即死でした(9節)。
 しかし、パウロは、まだいのちがあると抱きかかえて言うとユテコは生き返ったのです。
 トロアス教会の人々はひとかたならず慰められて、主の栄光を見たのです。
  
11.祈祷・・・・・・一  同
12.献金403 何処までも (確信)・・・・一同
13.感謝祈祷 ・・指 名
14.頌栄63 父 御子 御霊の(過去の礼拝録音です) 一同起立
15.祝祷・・・・・・ 寺東真也師
16.中高生祝福式・・寺東真也師
17.報告・・・・・・司会者

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第14主日礼拝式順序&聖餐式 2024年4月7日 午前10:30〜

1.黙祷・・・一 同
2.賛美238 尊き泉あり (救い) ・・一同起立
3.使徒信条・・一  同
4.主の祈り・・一  同
5.祈祷・・・・一同着席
6.賛美199 主を仰ぎ見れば (臨在)・・・・一同

7.三大祷告
 再   臨
 イスラエル
 日   本
8.聖書・・・・司 会 者
10.メッセージ・・・ 寺東真也師
 主題 「気落ちした者を慰める神」
     使徒20:1〜6新約P.276
     第二コリント7:5〜11新約P.363

講壇 「気落ちした者を慰める神」
  聖句 使徒20:1〜6
     第二コリント7:5〜11

『今は喜んでいます。あなたがたが悲しんだからではなく、悲しんで悔い改めたからです。』第二コリント7:9
 エペソ宣教はアルテミス神殿がらみの騒乱がおさまった後、終わりを告げ、パウロは与えられたビジョンのもと(使徒19:21)、もう一度、マケドニアとアカヤ(ギリシャ)を目指しました。

◯気落ちするパウロ

 使徒の働きの中には1節から2節まで、第二次宣教旅行で伝道した地方を通り、そこにある教会をみことばをもって励まし、ギリシア(コリント)に到着したとあっさり記していますが、実はここにも大きなドラマが隠されているのです。
 その為にはコリント人への手紙を見る必要があります。3年ほどのエペソ宣教の中で、コリントの教会が多くの問題を抱えている事を知ったパウロは、一通目の手紙(コリント人への手紙第一)を書き送り、また、コリントの教会を直接訪問したりもしました(第二コリント2:1)。しかし、それらは、パウロと教会の溝を広げるだけになってしまったのです。そこで、パウロは二通目の手紙を書き(第二コリント2:3〜4、7:8〜12)、テトスに委ねたのです。しかし、予想していた時期になってもテトスは帰ってこず、パウロはマケドニア、アカヤに向けて出発し、トロアスに着きました。そこでは、宣教の門がパウロのために開かれていたのですが。ここでもテトスに会えないことから平安がなく、すぐにマケドニアに向けて出発してしまったのです(第二テモテ2:12〜13新約P.426)。パウロも人の子です。気落ちし、心に平安がなく戦えない時もあったのです。主は、そんなパウロを責めはしませんでした。

◯マケドニア(ピリピ)にて

 平安がないまま、パウロはマケドニア地方のおそらく、ピリピに到着しました。すると、念願であったテトスと合流できたのです。しかも、二通目の手紙を書き送った結果、コリントの教会が悔い改めたとの嬉しい知らせを聞いたのです(第二コリント7:5〜9)。そこで、パウロは三通目になる手紙(コリント人への手紙第二)を書き、先んじて送ったのでした。

◯悲しみから悔い改めへ

 大きな問題を抱え、ある人々は開き直るほどの反抗を見せていたコリント教会ですが、パウロの愛と忍耐による指導が主の御手を動かしたのです。そこには、最初、悲しみが溢れました。それはとても深い悲しみであったのです。しかし、その悲しみは神のみこころに添った悲しみであったというのです(9節)。その悲しみは、悔い改めを生み、悔い改めは、信仰の熱心を生みました(11節)。罪を犯した事が致命傷になるのではありません。神の招きに背くことが致命傷になるのです。また反対に、悔い改めから始まる真の喜びは。コリントの教会にとってもパウロにとっても神の慰めとなり、励ましとなり、力となったのです。
 ちなみに、この後、パウロはギリシア(コリント)に向かう前に、マケドニアの北西に位置するイルリコにまで宣教を広げています(ローマ15:19新約P.322)。

◯献金を携えて(使徒20:4)

  パウロはコリントの教会と感動の再会を果たし、三ヶ月過ごして、エルサレムへ向かうのですが、ユダヤ人の陰謀から、マケドニア経由で帰ることになりました。しかし、その時、エルサレムへの同行者は7名が記されています。これらは、第一次、第二次宣教旅行の実である教会の代表者達です。彼らは、困窮するエルサレム教会への献金を携えて、パウロと共に同行したのです。慰められた者は、慰める者へと変えられるのです。
  
10.祈祷・・・・・・一  同
11.聖餐式49 しみも咎も(聖餐)・・・・寺東真也師
12.献金354 迷えるとき光を (確信)・・・・一同
13.感謝祈祷 ・・指 名
14.頌栄63 父 御子 御霊の(過去の礼拝録音です) 一同起立
15.祝祷・・・・・・ 寺東真也師
16.成人祝福式388 いとも良きものを (献身)・・寺東真也師
17.報告・・・・・・司会者

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第13主日イースター礼拝式順序 2024年3月31日 午前10:30〜

1.黙祷・・・一 同
2.賛美129 ものみなこぞりて (復活) ・・一同起立
3.使徒信条・・一  同
4.主の祈り・・一  同
5.祈祷・・・・一同着席
6.賛美257 キリストは生きておられる (平安)・・・・一同

7.三大祷告
 再   臨
 イスラエル
 日   本
8.聖書・・・・司 会 者
9.特別賛美・・・・聖 歌 隊
10.メッセージ・・・ 寺東真也師
 主題 「エマオへの道で」
     ルカ24:13〜35新約P.172

講壇 「エマオへの道で」
  聖句 使徒24:13〜35

『道々お話しくださる間、私たちに聖書を説き明かしてくださる間、私たちの心は内で燃えていたではないか。』(ルカ24:32)
 イースターおめでとうございます。死から復活され今も生きておられる主を褒め称えます。
 福音書の記者たちは聖霊に導かれて、イエス・キリストの復活をそれぞれの視点で書き残しています。ルカの福音書の特筆すべき復活の記事は、エマオへの道での出来事でしょう(ルカのみに記されてある)。

◯失意の歩みの中で

 エルサレムから11キロほど離れた町エマオへ、イエス様の弟子であった二人が向かっていました。その話題はもちろん、イエス様の死とそれに追い打ちをかけるように、死体が忽然と消え、墓に行った女性たちは御使いがイエス様は生きているというお告げを聞いたというものでした。
 二人の弟子達を含め、ほとんどの弟子達はイエス様の復活に懐疑的であり、悪質な冗談ととっていたのでしょう。
 二人で話し合い、論じ合っている最中に、イエス様は彼らと共に道を歩いておられました。しかし、彼らの目はさえぎられており、イエス様を本人だと分からなかったと言うのです。
 そして、イエス様に聖書を教えていただくうちに、二人の心は燃え、ようやく、今目の前におられるお方がイエス様である事を知るのです。
 人が、復活のイエス様と出会い、救われる本質を見ることが出来ます。

1. 知的情報では救われない

 二人の弟子達は、イエス様の十字架の死を目の当たりにし、考えられる最悪の事態に落ちいっている事を認識しました(もちろん、それは人間的な見解にすぎませんが)。復活の希望の光がいかに輝いていても、目を開かなければ、見える者も見えません。
 悲しみや、怒り、懐疑心は物事を曲げて見せてしまう事があります。女性たちの復活の報も戯言に聞こえ、目の前にいる栄光の主にもうんちくを述べてしまうのです(19〜24節)。

2. 真理はあなたを自由にする

「あなたがたは、わたしのことばにとどまるなら、本当にわたしの弟子です。あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」(ヨハネ8:31〜32新約P.197
 人は神の前にへりくだり、みことばに聞き、とどまるならば、みことばは心の目を開いてくれます。すでに、肉体の目ではイエス様を見ていた二人でしたが、本質的に復活の主と出会ったのは、夕食の時でした(30〜31節)。
 イエス様は二人に道々、みことばを語り、聖書を開いてくださいました。みことばが開かれる時、私たちの心も開かれるのです(32節、詩篇119:130旧約P.1067)。

◯共に歩んでくださる方

 イエス様はご自分の復活を知らせる為に40日の時間を費やされました。知的理解から信仰的理解に深められるために、イエス様は責めず、焦らず、マリヤを(ヨハネ20:14〜18)、トマスを(ヨハネ20:24〜29)、ペテロを(ヨハネ21:15〜22)、愛する者たちを(ヨハネ20:30〜31)、そして、あなたを取り扱われるのです。
  
11.祈祷・・一  同
12.献金303 安かれ わがが心よ (信頼)・・・・一同
13.感謝祈祷 ・・指 名
14.頌栄63 父 御子 御霊の(過去の礼拝録音です) 一同起立
15.祝祷・・・・・・ 寺東真也師
16.イースタープチプレゼント配布・・教会学校
17.報告・・・・・・司会者

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第10主日礼拝式順序 2024年3月17日 午前10:30〜

1.黙祷・・・一 同
2.賛美109 友よ読みしや (受難) ・・一同起立
3.使徒信条・・一  同
4.主の祈り・・一  同
5.祈祷・・・・一同着席
6.賛美105 栄えの冠を (受難)・・・・一同

7.三大祷告
 再   臨
 イスラエル
 日   本
8.聖書・・・・司 会 者
9.メッセージ・・・ 寺東真也師
 主題 「狭い門から入れ」
     使徒19:21〜40新約P.274
     マタイ7:13新約P.12

講壇 「狭い門から入れ」
  聖句 使徒19:21〜40
     マタイ7:13

『狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広く、そこから入って行く者が多いのです。』マタイ7:13
 エペソにおける2年もの宣教期間を経て、主のことばは力強く広まって行きました。その後、パウロは御霊に示され、次のビジョンが与えられます。それは、第二次宣教旅行の際に伝道した、マケドニアとアカイア(ギリシャ)を再訪し、エルサレムに帰って、そこから、ローマに行くというビジョンです。この時代におけるローマは覇権をとった席あの中心地であり、また、「地の果て」の象徴でもあります(使徒1:8)。

◯福音の衝撃

 パウロは、まず、テモテとエラストを先にマケドニアに遣わし、自分はエペソにしばらくとどまりました。そこで、大変な騒動が起こったのです。
 アルテミス神殿の模型を銀で作って生計を立てていたデメテリオという銀細工職人が、同業の人々を集めて、パウロの宣べ伝えている福音がいかに、アルテミス信仰と自分達の生業に打撃を与えているかを熱く語ったのです(25〜27節)。
 このことが発端となり、彼らは怒り狂って叫び始めたのです。
「偉大なるかな、エペソ人のアルテミス」
 そして、この混乱は町中に広がり、パウロの同行者の二人を捕らえて、劇場になだれ込んでいったのです。
 このような騒動は規模は違いますが、マケドニアのピリピでもありました(使徒16:19)。
 この世界には神様が忌み嫌われる事柄が溢れています。ここで言うならば、偶像崇拝や占いなどです。霊的なことだからと言って全てを信じることは馬鹿げているのです(第一ヨハネ4:1新約P.482)。そして、福音にはそれらのものに対して、大きな衝撃を与える力があるのです。占いの霊は去り、偶像に仕えていた者が、真の神のみを拝するようになるのです。それは、その中で生きている人にとって目障りであり、到底許すことができないものとなっていったのです。反対に言うと、福音の力は本物だということです。

◯無視できないほどの騒乱

 アルテミス神を信仰し、その信仰心に依存した商売を形成していた人々によって、キリスト教に対するデモ活動が勃発したのですが、人々が集まれば集まるほど、その真意を理解するものは多くなかった事が記されています(32節)。「ただ叫びたかった」「騒々しい雰囲気が楽しそうだった」程度の理由で集まる人々。人はお祭りが大好きというのは乱暴でしょうか。でも、群衆心理は、いつも流されゆく人の脆さ、弱さから始まるのです。
 この群集たちの狂乱とパウロとその仲間たちの冷静さのギャップは天と地ほどあります(30〜31)。そこには、イエス・キリストという一本筋の通った唯一の道であるお方に仕えている者たちとの違いが浮き彫りになっているのです。
 町の書記官は、この狂乱を無視することが出来なくなって、アルテミス信仰の正当性を上げながら、今皆がしている事の不当性を切々と語り聞かせ、その集まりを解散させるに至りました(35〜40節)。

◯心は映す(箴言27:19旧約P.1130

 今回の騒乱は勝手に始まり、勝手に終わっていて、パウロは蚊帳の外です。それもそのはず、信仰対信仰のように見えて、騒乱を起こした者も、そこに乗っかった者も、それを静めた者も、根本は私利私欲が原動力だからです。人は、私利私欲の上に、正当性という仮面を被って滅びの大路を歩みやすいのです。私たちは、キリストの為に生きるのです。
  
10.祈祷・・一  同
11.献金457 憂いと罪より (霊の戦い)・・・・一同
12.感謝祈祷 ・・指 名
13.頌栄63 父 御子 御霊の(過去の礼拝録音です) 一同起立
14.祝祷・・・・・・ 寺東真也師
15.報告・・・・・・司会者

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第10主日礼拝式順序 2024年3月10日 午前10:30〜

1.黙祷・・・一 同
2.賛美20 主の真実は奇しきかな (賛美) ・・一同起立
3.使徒信条・・一  同
4.主の祈り・・一  同
5.祈祷・・・・一同着席
6.賛美437 行きて告げよあまねく (宣教)・・・・一同

7.三大祷告
 再   臨
 イスラエル
 日   本
8.聖書・・・・司 会 者
9.メッセージ・・・ 寺東真也師
 主題 「エペソのリバイバル」
     使徒19:8〜20新約P.273

講壇 「エペソのリバイバル」
  聖句 使徒19:8〜20

『こうして、主のことばは力強く広まり、勢いを得ていった。』使徒19:20
 いよいよ、パウロの念願であったエペソ宣教が始まりました。第二次宣教旅行の帰り道、一時的に立ち寄ったエペソでは、ユダヤ人たちの反応は良く、もっと長く留まって欲しいと願われたほどでした(使徒18:20)。しかし、三ヶ月ほどユダヤ人の会堂で福音を語り、論じたのですが、ある者たちが心頑なにし、悪口を言い始めたのです(8〜9節)。パウロは肩透かしをくらったことでしょう。

◯ティラノの講堂にて

 パウロは諦めませんでした。場所を変えて、エペソの公民館のようなティラノという講堂で福音を伝え続けたのです。その期間なんと2年です。そして、聖書は驚くべきことに、『アジア』に住む人々はみな主のことばを聞いたというのです(10節)。
 エペソはアジアの中心都市でしたが、その地域はとても広大です。その人々にみなにみことばが届いたというのです。どうやって、みことばは広がったのでしょうか。

1. 恐れずに語り続けた

 パウロはコリントの街で、主の声を聞き、大きく励まされたのです。
『「恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない。わたしがあなたとともにいるので、あなたを襲って危害を加える者はいない。この町には、わたしの民がたくさんいるのだから。」(使徒18:9〜10)
 主のみことばを握りしめ、地道にコツコツとみことばに従い、語り続けたのです。

2. 主が共に働かれた

 信仰による歩みをし続けるパウロと共に主はしるしを持って栄光を現されました。パウロの身につけていた前掛けを当てると病人は癒やされ、悪霊は追い出されたのです。驚いた中に、ユダヤ人の祈祷師もいました、彼らスケワという祭司長の七人の息子たちでしたが、試しに悪霊に憑かれている人に向かって、イエスの名で追い出そうとしたのです。すると、悪霊は、イエスもパウロも知っているがお前たちは誰だと言って反撃され、傷を負いながら逃げ出したのでした。このパウロとスケワの息子たちギャップからさらに人々はイエス様信じるようになって行きました。

3. 悔い改めの実が結ばれた

 信じた人々は、ギリシャ人特有の珍しいもの好きの感じで、入信をしたわけではありませんでした。自分たちの犯した罪を告白し、魔術を行なっていた者たちは、高価な魔術書をみな持ってきて、公衆の面前で焼き捨てたのです(18〜19節)。純粋な信仰から結ばれた実は、悔い改めの実でした。この真実な実を主はどれほど喜ばれたことでしょう。

◯主のことばは力強く、広まり、勢いを得ていった

 これらの結果、エペソにリバイバルが起こり、みことばは、エペソにとどまらず、アジア全土に広まっていったのです。パウロの手紙の中に、コロサイ人への手紙がありますが、実はコロサイには行った事がないのです。この教会はエパフラスというクリスチャンが伝道し、形成された教会だったのです。このエパフラスは、どこかでみことばに触れ、救われて、地元のコロサイに帰って福音を告げ知らせたのです。おそらく、エパフラスの救いは、このエペソでのリバイバルによる火種が、大きく燃え上がった影響によった可能性は低くないでしょう。黙示録の7つの教会の6つもそうです。
 主は一人の人の信仰の火種を豊かに用いてくださるお方のです。
  
10.祈祷・・一  同
11.献金419 起こし給え (リバイバル)・・・・一同
12.感謝祈祷 ・・指 名
13.頌栄63 父 御子 御霊の(過去の礼拝録音です) 一同起立
14.祝祷・・・・・・ 寺東真也師
15.献児式505 主われを愛す(幼児祝福)・・・寺東真也師
16.報告・・・・・・司会者

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第9主日礼拝式順序 2024年3月3日 午前10:30〜

1.黙祷・・・一 同
2.賛美19 救いをなし給う (賛美) ・・一同起立
3.使徒信条・・一  同
4.主の祈り・・一  同
5.祈祷・・・・一同着席
6.賛美 特選2  ・・一同起立
7.三大祷告
 再   臨
 イスラエル
 日   本
8.聖書・・・・司 会 者
9.特別賛美・・・聖 歌 隊
10.メッセージ・・・ 寺東真也師
 主題 「聖霊が臨み」
     使徒19:1〜7新約P.273
     マタイ11:11新約P.20

講壇 「聖霊が臨み」
  聖句 使徒19:1〜7/マタイ11:11

『まことに、あなたがたに言います。女から生まれた者の中で、バプテスマのヨハネより偉大な者は現れませんでした。しかし、天の御国で一番小さい者でさえ、彼より偉大です。』マタイ11:11
 アポロが紹介を受けてアカイア地方に渡った後、ガラテヤ、フリュギアの諸教会を励ました後、ついに、エペソに帰ってきたのです。第二次宣教旅行の往路では、御霊にアジアでみことばを語る事を禁じられ(使徒16:6)、復路においてようやくエペソに立ち寄る事が許されたと思ったら、主の導きを感じて、後ろ髪引かれる思いで、神の御心ならば戻ってきますとエペソを後にしたパウロでした(使徒18:21)。第三次宣教旅行の大半となる約3年はエペソ宣教でした(使徒20:31)。

◯アジアの中心都市エペソ

 エペソはアジア州の中心都市であり、エーゲ海にも程近く、国際的な街でした。後に大騒動の引き金となる女神アルテミスを信奉する人々が多く、アルテミス神殿が聳え立っていたのです。

◯最初に出会った十二人の弟子達

 パウロがエペソに到着して最初に出会ったのは十二人の弟子達でした(7節)。
 その時、パウロは変な質問をしました。
「信じたとき、聖霊を受けましたか」(2節前半)
 イエス様を信じる者には聖霊が与えられます(ヨハネ7:38〜39新約P.194)。また、そもそも、聖霊が働かれなければ人は福音とイエス様を信じる事はできないのです(第一コリント12:3新約P.344)。
 では、なぜクリスチャンであるはずの弟子達にパウロはこのような質問をしたのでしょうか。

◯霊的違和感

 おそらく、パウロはこの十二人弟子達に霊的な違和感を感じたのでしょう。そこで、信じた時に聖霊を受けたのかという質問をしたのです。すると、驚くべき答えが返ってきたのです。
「いいえ、聖霊がおられるのかどうか、聞いたこともありません」(2節後半)
 この霊的違和感の原因を探ると、彼らはヨハネのバプテスマしか受けていない事が判明したのです。これは、先週学んだ、アポロにも共通する事でした。
 霊的違和感を発していたのは、バプテスマのヨハネのように禁欲的にあろうと努力していたからではないかと考えられます。バプテスマのヨハネはラクダの毛衣をまとい、皮の帯を締め、イナゴと野蜜を食べて禁欲的な生活をしていたからです。

◯バプテスマのヨハネが指し示したお方

「その翌日、ヨハネは自分の方にイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の子羊。『私の後に一人の人が来られます。その方は私にまさる方です。私より先におられたからです』と私が言ったのは、この方のことです。」(ヨハネ1:29〜30)
 パウロはこの十二人の弟子達にヨハネの活動の本質であった、イエス様を信じる事を伝えました。そして、彼らは、イエス様の名によって洗礼を受けたのです。

◯内向きから外向きに

 十二人の弟子達に聖霊が臨み、彼らは異言を語り預言を語り始めました。彼らは、禁欲的な内向きの信仰生活から、神に向かって賛美し、祈り、人々に神のことばを大胆に語り、伝える外向きな者達に変えられたのです(第一コリント14:1〜4)。
  
11.祈祷・・一  同
12.聖餐式49 しみも咎も(聖餐)・・・・寺東真也師
13.献金409 燃ゆる御霊よ (聖霊)・・・・一同
14.感謝祈祷 ・・指 名
15.頌栄63 父 御子 御霊の(過去の礼拝録音です) 一同起立
16.祝祷・・・・・・ 寺東真也師
17.報告・・・・・・司会者
18.祈りのひと時・・・・お隣の方と

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第8主日礼拝式順序 2024年2月25日 午前10:30〜

1.黙祷・・・一 同
2.賛美18 おお御神をほめまつれ (賛美) ・・一同起立
3.使徒信条・・一  同
4.主の祈り・・一  同
5.祈祷・・・・一同着席
6.賛美148 夕べ雲焼くる (再臨) ・・一同起立
7.三大祷告
 再   臨
 イスラエル
 日   本
8.聖書・・・・司 会 者
9.メッセージ・・・ 寺東真也師
 主題 「愛は教会を建てあげる」
     使徒18:23〜28新約P.273

講壇 「愛は教会を建てあげる」
  聖句 使徒18:23〜28

『それを聞いたプリスキラとアキラは、彼をわきに呼んで、神の道をもっと正確に説明した。』使徒18:26
 第二次宣教旅行を終えたパウロはエルサレム教会に挨拶した後、母教会であるシリアのアンティオキア教会へ帰ってきました。そして。しばらく滞在した後、第三次宣教旅行へと導かれ、ガラテヤ地方、フリュギア地方の教会を再訪し、教会を励ましたのでした。この後、エペソに導かれ宣教する事になるのですが、今日の聖書箇所は、パウロがエペソに来る少し前の出来事です。

◯雄弁なアポロの信仰的不足(25節)

 アフリカのアレクサンドリア生まれのユダヤ人であるアポロという教師がエペソにやってきました。アレクサンドリアは離散のユダヤ人たちが集まる中でも一大共同体であり、ユダヤ教を学ぶにはもってこいの地域だったのです。なので、アポロは旧約聖書に通じ素晴らしい知識を持っていました。しかもそれだけではなく、イエス様が旧約のメシア(キリスト、救い主)である事を信じて正確に語り教える事ができたのです。
 とても優秀で雄弁なアポロでしたが、一点、致命的な不足があったのです。それは、『ヨハネのバプテスマしか知らなかった』事です。ヨハネのバプテスマとは「罪の赦しに導く、悔い改めのバプテスマ」です(マルコ1:4新約P.65)。神の御前に悔い改めをする事は、イエス様を信じる信仰に必要不可欠なものです。ただし、勘違いしてはならないのは、「私たちが悔い改めたから」罪が赦されるのではないのです。罪を赦す事ができるのは神様のみです。「神様の大きな恵みの故に」、悔い改めるものは罪が赦され、救われるのです。そして、神様の大きな恵みこそ、イエス様の十字架による贖い(死と復活)なのです。
 アポロは神様を信じ、救い主がイエス様である事も信じていました。しかし、一番重要な「イエス様の十字架と復活は私のためであった」という事を信じるに至っていなかったのです。

◯プリスキラとアキラの愛(26節)

 第二次宣教旅行の終盤、コリントでパウロと共に働いたクリスチャン夫婦のプリスキラとアキラは、パウロと共にエペソまで来ていました。パウロはアンティオキアに帰って行きましたが、プリスキラとアキラはエペソにとどまっていたのです。夫婦は、アポロの名演説を聞きました。すると、彼女たちは、すぐにアポロの不足に気づき、行動を起こしたのです。でもそれが、なんと愛に溢れ、キリストの体である教会を建てあげる行動であったかを知ってほしいのです。
「それを聞いたプリスキラとアキラは、【彼をわきに呼んで】、神の道をもっと正確に説明した。」
 いくら、正しい事を伝えても、その言葉が刃となり、その人のプライドや心を傷つけるようなやり方では、人は育ちません。教会は建てあげられないのです。
 人を生かすも殺すも、人の応対と言葉と言えます。プリスキラとアキラは、アポロを生かしたのです。人を生かすのは愛です。真理を伝える時、少しの配慮に、柔和な心で優しい言葉を添えて。

◯恵みによって(27節)

 アポロは、悔い改めしか知らない信仰から、イエス・キリストの恵みの信仰に目が開かれ、アカイア地方のクリスチャンたちを、『恵みによって』大いに助ける者となったのです。  教会を建てあげる為には、キリストの愛を、隣人を愛する愛で伝えていく事が必要なのです。
  
10.祈祷・・一  同
11.献金222 罪の深みに (神の愛)・・・・一同
12.感謝祈祷 ・・指 名
13.頌栄63 父 御子 御霊の(過去の礼拝録音です) 一同起立
14.祝祷・・・・・・ 寺東真也師
15.報告・・・・・・司会者

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第6主日礼拝式順序 2024年2月11日 午前10:30〜

1.黙祷・・・一 同
2.賛美8 七日の旅路 (賛美) ・・一同起立
3.使徒信条・・一  同
4.主の祈り・・一  同
5.祈祷・・・・一同着席
6.賛美467 世の終わりのラッパ (再臨) ・・一同起立
7.三大祷告
 再   臨
 イスラエル
 日   本
8.聖書・・・・司 会 者
9.メッセージ・・・ 寺東真也師
 主題 「恐れないで語り続けなさい」
     使徒18:1〜11新約P.271

講壇 「恐れないで語り続けなさい」
  聖句 使徒18:1〜11

『ある夜、主は幻によってパウロに言われた。「恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない。わたしがあなたとともにいるので、あなたを襲って危害を加える者はいない。この町には、わたしの民がたくさんいるのだから。」』使徒18:9〜10
 日本宣教は簡単ではありません。福音を宣べ伝えますが、見える収穫が少ない時に人は、挫折し、勇気を失ってしまいます。しかし、聖書は、「みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。」(第二テモテ4:2新約P.429)と言います。しっかりやる為に、主は共にいてくださるのです。

◯パウロの挫折

 第二回伝道旅行はパウロの思い描いていた地域とは違った道に導かれました。聖霊はアジア(今のトルコ)でみことばを語る事を禁じ、ビテニヤに北上しようとした時にも聖霊はお許しにならず、トロアスに下りました。そこで、マケドニア人が叫んでいる幻を見て、ギリシャのピリピへと足を踏み入れていくのです(使徒16:6〜9)。
 ピリピでは、むち打ちや投獄など、トラブルに巻き込まれながらも、ルデヤ一家(使徒16:14)、牢獄の看守とその家族(使徒16:29〜34)が救われ、テサロニケ、ベレヤ、ではユダヤ人達にねたみから暴動を起こされましたが多くの者がイエス様を信じて、パウロに協力してくれました(使徒17:1〜15)。ピリピもテサロニケも救われた者が核となって教会が生まれたのです。
 しかし、アテネにおいては少し違いました。アテネはギリシャの中心都市であり、ギリシャ哲学の最たる頭脳が集まっていたのです。そこの人々は、知識に飢え、目新しい教えを欲していたのです。しかし、知識だけで人は救われません。アテネの人々に向けたパウロの説教はむなしく響き、数人の人々が救われるのみで、教会を形成するに至りませんでした。もちろん数人でも救われた事はとても大事な事です。しかし、開拓者パウロにとって、初めての挫折を味わったのです。そんなパウロに神様はケアを忘れませんでした。

◯仲間によるケア

 コリントへ来たときの心境を振り返ってパウロは記しています。
「あなたがたといっしょにいたときの私は、弱く、恐れおののいていました。」(第一コリント2:3新約P.328
 神様は耐えられない試みには会わせられません。それどころか、脱出の道をも備えてくださるのです(第一コリント10:13)。丁度、ローマにおいて、ユダヤ人退去令がだされており、その為、熱心なクリスチャンであるアクラとプリスキラがコリントにて移り住んでいたのです。パウロは天幕作りの技術を持っており、同業者のアクラとプリスキラと共に働きながら宣教しました。コリントのユダヤ人達も福音を受けいれず、暴言を吐きだしたので、パウロはコリントの人々にのみ、みことばを語りました。その時、会堂管理者のクリスポを始め、多くのコリント人が救いに導かれたのです。

◯みことばによるケア

 これまでのパターンはユダヤ人に激しいねたみが起こる、そして、暴動になり、命の危険に晒されるというものでした。
 少なからず、パウロとて恐れを抱いた事でしょう。その中で、神様はねんごろに語られたのです。
「恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない。わたしがあなたとともにいるのだ。だれもあなたを襲って、危害を加える者はない。この町には、わたしの民がたくさんいるから」(使徒18:9〜10)
 パウロは知恵のことばではなく、キリストそのものを(第一コリント2:1〜5)、そして、自分の弱さに現れる神様の力強さ(第二コリント11:29〜30新約P.370、12:9〜10)を証するようになったのです。
  
10.祈祷・・一  同
11.献金434 語り告げばや (宣教)・・・・一同
12.感謝祈祷 ・・指 名
13.頌栄63 父 御子 御霊の(過去の礼拝録音です) 一同起立
14.祝祷・・・・・・ 寺東真也師
15.報告・・・・・・司会者

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第5主日礼拝式順序 2024年2月4日 午前10:30〜

1.黙祷・・・一 同
2.賛美7 主のみいつと (賛美) ・・一同起立
3.使徒信条・・一  同
4.主の祈り・・一  同
5.祈祷・・・・一同着席
6.賛美463 喜びもて (再臨)
7.三大祷告
 再   臨
 イスラエル
 日   本
8.聖書・・・・司 会 者
9.特別賛美・・ 聖 歌 隊
10.メッセージ・・・ 寺東真也師
 主題 「真理を求めよ」
     使徒17:16〜34新約P.270
     第一コリント1:20〜24新約P.327

講壇 「真理を求めよ」
  聖句 使徒17:16〜34
     第一コリント1:20〜24

『神の知恵により、この世は自分の知恵によって神を知ることがありませんでした。それゆえ神は、宣教のことばの愚かさを通して、信じる者を救うことにされたのです。』第一コリント1:21
 べレアでの騒動があって、シラスとテモテはべレアにとどまりましたが、パウロは救われた人々に送り出されて、一足先に次の町であるアテネに案内されてたどり着きました。結果的に、このアテネでの宣教はパウロの孤軍奮闘となりました。

◯偶像と知識に溢れた町

 アテネはギリシャ文化の中心地であり、パルテノン神殿や野外劇場、音楽堂、様々な彫刻等、目を見張るようなものが沢山あります。また、最盛期は過ぎておりますが、紀元前400年頃には、ソクラテス、プラトン、アリストテレスなど名だたる一流の哲学者や思想家たちを輩出した町です。そして、そのような、文化や芸術は宗教に結びつき、町の至る所にギリシャ神話の偶像に溢れていたのです。

◯憤るパウロ

 誠の神から離れた人類が、その知識から生み出すものは、人間に都合の良い「偶像」や「神々」です。この世界とそこにある全てのものを造られた神に対して、一番の不敬は、神以外のものを神とし、見える形に落とし込んだ偶像を崇拝することです。まことの神の愛と恵みを知ったパウロにとって、知らずとはいえ、町中に溢れかえる偶像を見たとき、その心は義憤に燃えたのです。

◯広場での宣教

 今までの町々に関して、パウロの宣教の方法は、会堂や会堂の無い町では、川辺の祈りの場に行って、まことの神を信じるユダヤ人や、求道していた異邦人に福音を述べ伝えたのです。しかし、アテネでの宣教は一味違いました。偶像と知識に酔っている人々を見て、いてもたってもいられなくなったのでしょう。もちろん、まず、会堂で福音を述べ伝えたのですが、それに加えて、町の広場に出て行って、そこに居合わせた人々に福音を伝え論じ合ったのです。

◯エピクロス派とストア派

 広場で論じ合った人々の中には、エピクロス派とストア派 と言われる人々がいました。エピクロス派は快楽こそ人生の主要な目的とする快楽主義者です。そして、反対に、ストア派は凡神論でこの世の全てのものは神であり、世界=神だから人生の主要な目的は宇宙と一つになる事だと唱えました。実生活においては、禁欲主義、厳粛主義をとり、ストイックという言葉の語源となった程です。
 相反する主義を持った派の人々ですが、同じような対応をとったのです。

1.おしゃべり扱い

 自分たちの知識に誇りを持っていたので、パウロに対して、尊敬の念ではなく、小鳥がさえずり、種を啄むようなもの扱いをし、下に見ていたのです。

2.新しいもの好き

 良くいえば好 奇心旺盛なのですが、そこにいた人々はみな、この世の知識を得て楽しむだけの日々を過ごしていました。悪くいえば 流行を追うだけで審理を求めることをしない人々だったのです。ゆえに、パウロはアレオパゴスという当時の重要な会議を行う集会所に連れてゆき福音を語るように願いました(19、20節)。しかし、福音を聞いた多くの人々は、あざ笑い、「またの機会に」と流してしまったのです。

 信仰に基づかない知識は、人を真理から遠ざけます。しかし、謙って神を求める者には、命と真理に導かれるのです。
  
11.祈祷・・一  同
12.聖餐式49 しみも咎も(聖餐)・・・・寺東真也師
13.献金314 天つ国を指して (信頼)・・・・一同
14.感謝祈祷 ・・指 名
15.頌栄63 父 御子 御霊の(過去の礼拝録音です) 一同起立
16」.祝祷・・・・・・ 寺東真也師
17.報告・・・・・・司会者

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第4主日礼拝式順序 2024年1月28日 午前10:30〜

1.黙祷・・・一 同
2.賛美5 み使いよ伏して (賛美) ・・一同起立
3.使徒信条・・一  同
4.主の祈り・・一  同
5.祈祷・・・・一同着席
6.賛美148 夕べ雲焼くる (再臨) ・・一同起立
7.三大祷告
 再   臨
 イスラエル
 日   本
8.聖書・・・・司 会 者
9.メッセージ・・・ 寺東真也師
 主題 「イエスは王」
     使徒17:10〜15新約P.270
     詩篇119:103旧約P.1065

講壇 「みことばに生きる」
  聖句 使徒17:10〜15
     詩篇119:103

『あなたのみことばは私の上あごになんと甘いことでしょう。 蜜よりも私の口に甘いので す。』詩篇119:103
 テサロニケにおいて妬みに駆られたユダヤ人たちの策略により暴動が起こった為、パウロたちは兄弟たちに送り出されて次の町に向かいました。

◯べレアにて

 べレアはテ サロニケから約80キ ロ離れた場所にある古い町でした。ここにもユダヤ人の会堂があり、パウロとシラスは早速、会堂にて 福音を宣べ伝え始めたのです。この町での福音宣教の結果は、今までにない展開を迎えます。今までの町々では、皆が福音に耳を傾けますが 、異邦人が受け入れ、ユダヤ人が信じず、反対に妬みに駆られて迫害し始めると言うことも少なくありませんでした。しかし、べレアでは、多くのユダヤ人もギリシア人も福音を信じ、救われたのです。

◯べレアの人々

 どうして、べレアのユダヤ人たちも救われるに至ったのでしょうか。11節のみことばが鍵になるでしょう。
「この町のユダヤ人は、テサロニケにいる者たちよりも素直で、非常に熱心にみことばを受け入れ、はたしてそのとおりかどうか、毎日聖書を調べた。」(11節)

1.素直に

 一つ目は、テサロニケのユダヤよりも「素直」であったのです。イエス様は、聖書を語られる時、よくこう仰いました。
『そしてイエスは言われた。「聞く耳のある者は聞きなさい。」』(マルコ 4:9新約P.270
 どれほど、有益な情報があったとしても、それを聞く人が聞こうとこしなければ、その情報は何の意味も持ちません。べレアの人々は、固定概念に縛られていなかったのです。良い意味で、子供たちのように( マルコ10:14)。

2.非常に熱心に

 二つ目は「非常に 熱心に」みことばを受け入れたのです。
 主が喜ばれる信仰は「熱い」信仰です。黙示録に出てくる7つの教会の最後の教会は、現代社会の中に生きるクリスチャンに示唆を与え、警告していまたす。
「わたしはあなたの行いを知っている。あなたは冷たくもなく、熱くもない。むしろ、冷たいか熱いかであってほしい。そのように、あなたは生ぬるく、熱くも冷たくもないので、わたしは口からあなたを吐き出す。」(黙示録3:15〜16新約P.419

3.毎日聖書を調べ

 三つ目は「毎日聖書を調べ」たのです。素直で熱心にみことばを聞き、受け入れ、そして、その確信を聖書から持としたのです。
 聖書は難しいというイメージは誰しも持ってしまいやすいものです 。しかし、神のことばは生きていて、力があるのです(ヘブル4:12新約P.419)。みことばは私たちの大切な霊的な糧であり、求めて、読む時、必ず、神様は語りかけてくださるのです。べレアの人々は、このみことばによって新しく生まれるに至ったのです。

◯ 教師が取られても

 テサロニケのユダヤ人たちはその妬みから、べレアにまで来て騒ぎを起こし、パウロが次の町に送り出されることになりました(13〜14節)。
 教師が取り去られても、立ち続ける教会には、みことばに立ち続けるクリスチャンがいたのです( 使徒20:4)。
  
11.祈祷・・一  同
12.献金466 来り給う主を (再臨)・・・・一同
13.感謝祈祷 ・・指 名
14.頌栄63 父 御子 御霊の(過去の礼拝録音です) 一同起立
15.祝祷・・・・・・ 寺東真也師
16.報告・・・・・・司会者

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第3主日礼拝式順序 2024年1月21日 午前10:30〜

1.黙祷・・・一 同
2.賛美4 子羊をば (賛美) ・・一同起立
3.使徒信条・・一  同
4.主の祈り・・一  同
5.祈祷・・・・一同着席
6.賛美特1 火の祈 ・・一  同
7.三大祷告
 再   臨
 イスラエル
 日   本
8.聖書・・・・司 会 者
9.メッセージ・・・聖 歌 隊
10.特別賛美・・・寺東真也師
 主題 「イエスは王」
     使徒17:1〜9新約P.269

講壇 「イエスは王」
  聖句 使徒17:1〜9

『・・・イエスという別の王がいる・・・』使徒17:7

 ピリピを出たパウロとシラスは、マケドニア州の首都にあたるテサロニケに向かいました。この町には、ユダヤ人の会堂があったので、パウロとシラスは三週に渡り、聖書に基づいてそこに集っている人々と論じ、イエスこそキリストであることを伝えたのです。

◯二つの反応

 会堂にいた人々は等しく、福音を聞きました。しかし、その反応は二つに分かれました。
 福音を聞いた者たちのうち、ある者たちは福音を信じ、パウロとシラスに従いました。その大多数は、ギリシャ人の改宗者たちで、女性も沢山いたようです(4節)。
 しかし、ユダヤ人たちは信じないだけでなく、ねたみに駆られて、ならず者を集め、暴動を起こして町を混乱させ、イエスを主と信じ、パウロとシラスを自宅に招き入れたヤソンの家を襲撃させたのです。
 憎しみの力はなんと大きい事でしょうか。その時、パウロとシラスはヤソンの家にいなかったので、ヤソンと兄弟たちを連れてゆき、役人たちに訴え出たのです。

◯二つの訴え

 ユダヤ人たちは二つの訴えを街の役人たちに訴えました。
 それは、彼らを落とし入れる内容のものなのですが、角度を変えてみると、全てデタラメではなく、キリストを信じる者の特徴を悪く表現しているだけである事がわかります。反対に、この訴えの真実な部分を抽出してみましょう。

1. 世界中を騒がせてきた

「世界中を騒がせてきた者たちが、ここにも来ています。」(6節)
 文語訳では「「天下を覆したる彼の者たち」となっており、世界をひっくり返した人たちだと言うのです。それは、過激な革命家のようなイメージでしょう。クリスチャンはテロリストではありません。しかし、世界をひっくり返す力をもったみことばを携えている者たちであるのです。まだ、この時は、ユダヤ人たちにとって目の上のたんこぶのような存在にすぎない程度かもしれませんが、後に、ローマ帝国さえも振り回すほど影響力を持っていると認識され、教会は大きな迫害をうけるようになるのです。しかし、その力は破壊を目的とする力ではなく、和解と平和を実現する愛の力なのです。

2. イエスを王とする

「彼らはみな、『イエスという別の王がいる』と言って、カエサルの詔勅に背く行いをしています。」(7節)
 クリスチャンはイエスを王とする者たちです。しかし、この世の権威も主が建てられたもので、主に背く事以外には従うようにと聖書は言います(ローマ13:1新約P.318)。なので、カエサルの勅令に背く行いをしていると言うのは間違いです。ただし、神の御心に背くことを権威あるものが迫ってくる場合はイエスを王とする者は、最高権威者であられるイエス様の御心を行うべきです。
 しかし、主の恵みによらなければ、弱い私たちは王に従い切ることさえできないのです。主の愛にとどまりましょう。

  
11.祈祷・・一  同
12.献金466 来り給う主を (再臨)・・・・一同
13.感謝祈祷 ・・指 名
14.頌栄63 父 御子 御霊の(過去の礼拝録音です) 一同起立
15.祝祷・・・・・・ 寺東真也師
16.報告・・・・・・司会者

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第2主日礼拝式順序 2024年1月14日 午前10:30〜

 
1.黙祷・・・一 同
2.賛美3 天地の御神をば (賛美) ・・一同起立
3.使徒信条・・一  同
4.主の祈り・・一  同
5.祈祷・・・・一同着席
6.賛美465 いつかは知らねど (再臨)・・一  同
7.三大祷告
 再   臨
 イスラエル
 日   本
8.聖書・・・・司 会 者
9.メッセージ・・・寺東真也師
 主題 「主イエスを信じなさい」
     使徒16:25〜34新約P.268

講壇 「主イエスを信じなさい」
  聖句 使徒16:25〜34

『主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。』使徒16:31

 パウロは占いの霊につかれた女奴隷の中にいた悪霊を追い出しました。すると、この女奴隷によって儲けていた主人たちが烈火のごとく怒り、役人たちの所に連れてゆき、長官に訴えでたのです。町の人々も、長官たちも、信頼していた占い師を失くし、パウロとシラスをろくに調べもしないで、衣を剥ぎ取り、むちで打って牢に入れたのでした。

◯牢の中で

 パウロとシラスは牢に入れられ、足かせをはめられました。聖霊導きによってマケドニア宣教の道が開かれ、最初のピリピ宣教において、リディア一家が救われたばかりで、これからが本番と感じていた矢先にこのような事が起こったのです。パウロとシラスはどのような気持ちだった事でしょう。聖書はこう記しています。
「真夜中ごろ、パウロとシラスは祈りつつ、神を賛美する歌を歌っていた。」(25節)
 夜というのは、ただでさえ、気持ちが落ち込みやすいと言います。前向きな発想がしづらいのです。しかし、彼らは、全能の神様に全く信頼していました。そこには、悲しみや嘆きが逃げ去る喜びがあったのです(イザヤ35:10、51:11旧約P.1222)。

◯臨在の拡大

 すると突然、地を揺るがす大地震が起こり、牢獄を揺り動かして、牢の扉が全て開いてしまい、すべての囚人の鎖が外れてしまったのです。目を覚ました看守が慌てて駆けつけると、全ての扉が開いているのを見て、全員の囚人が逃げてしまったとも思い、自害しようとしました。当時のローマの法律は取り逃した囚人の罪は取り逃した看守が背負わなければならなかったからです。
 パウロは看守に大声で、自分達を含め、全ての囚人は逃げ出していない事を知らせ、看守の自殺を阻止しました。
 神の臨在は拡大するのです。まず初めに、神を信じるパウロとシラスの上に、この世のものではない、喜びと平安が溢れ、祈りと賛美となって湧き上がりました。そして、その声を聞いていた囚人たちにも変化が訪れ、脱走できる状態にも関わらず、誰一人、脱走しないという奇跡が起こりました。そして、それを目の当たりに見た看守は、ひれ伏し、心砕かれて、救いを求めたのです。その後、すぐに、看守はパウロとシラスを自宅に引き取り、家にいた全員が、イエス・キリストを信じる恵みにあずかったのです。
 主の臨在は一人のクリスチャンが変えられる所から始まります。そこには、聖なる臨在があり、周囲の人々にも良い影響を与えて広がるのです。

○あなたもあなたの家族も救われる

 看守の前に広がっている光景はありえないものでした。大小あれど罪を犯した囚人たちさえ、利己に走らず、牢にとどまる様があったのです。天国の片鱗を見た看守は、こう問わざるを得なかったのです。
「先生方。救われるためには、何をしなければなりませんか」(30節)
 その答えは「主イエスを信じなさい」でした。
 イエス・キリストの十字架と復活を信じる信仰があなたもあなたの家族も、全ての人を救う、唯一の鍵であるのです。

  
10.祈祷・・一  同
11.献金201 イエスはわがいのち (臨在)・・・・一同
12.感謝祈祷 ・・指 名
13.頌栄63 父 御子 御霊の(過去の礼拝録音です) 一同起立
14.祝祷・・・・・・ 寺東真也師
15.報告・・・・・・司会者

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第1主日礼拝式順序 2024年1月7日 午前10:30〜

 
1.黙祷・・・一 同
2.賛美2 たたえよ救い主イエスを (賛美) ・・一同起立
3.使徒信条・・一  同
4.主の祈り・・一  同
5.祈祷・・・・一同着席
6.賛美151 永遠の安き来りて (再臨)・・一  同
7.三大祷告
 再   臨
 イスラエル
 日   本
8.聖書・・・・司 会 者
9.メッセージ・・・寺東真也師
 主題 「心を開いて」
     使徒16:11〜18新約P.267

講壇 「心を開いて」
  聖句 使徒16:11〜18

『・・・主は彼女の心を開いて、パウロの語ることに心を留めるようにされた。』使徒16:14

御霊の導きによって、パウロ一行はトロアスから船出し、サモトラケを経て、マケドニアのネアポリスに到着しました。そして、最初の宣教地に選んだのは、ネアポリスからも近く、植民都市として栄えていた、ピリピだったのです。

◯植民都市ピリピ

 ピリピは昔、アレクサンダー大王の父でフィリップ2世が作った町で、その名にちなんでピリピと命名されました。後に、ローマが台頭し、ピリピは支配される事に反抗したのですが、後のローマ皇帝アウグストゥス(当時はオクタビアヌス)が勝利し、ピリピに、ローマの軍人たちを多く住まわせて植民地化した歴史があります。ピリピはマケドニアの小ローマのような町となったのです。

◯祈り場にて

 植民都市であるピリピにはユダヤ人がほとんどいなかったようです。ある程度、男性のユダヤ人がいれば、会堂を建てて礼拝するからです。会堂が無い町の少数のユダヤ人や信仰者は、川があればその岸で集まり、祈りをしていたのです。ピリピはそうでした。男性信者はおらず、そこには女性たちがいました(13節)。その女性たちに、パウロは福音を語ったのです。

○二人の女性

 さて、今日の聖書の箇所には二人の女性が登場します。一人はリディア。そしてもう一人は、名前は記されていない占いの霊につかれた女奴隷です。この二人の女性から、信仰を持つ事について聖書に聞きましょう。

1. リディア

 リディアはティアティラ市の紫布の商人でした。ティアティラ市はアジアの町で、小ローマと言われるピリピに家族と共に出稼ぎニ来ていたのです。そして、何より、彼女は「神を敬う人」であったようで、ティアティラでユダヤ教に改宗しまことの神を信じていたのです。ただし、イエス・キリストの福音については知りませんでした。彼女は、パウロが語る福音に耳を傾け、ついに、彼女も彼女の家族も、イエス様を信じ、洗礼を受けるに至ったのです。彼女がイエス様を信じる事ができたのはこう書かれています。
「主は彼女の心を開いて、パウロの語ることに心を留めるようにされた。」(14節)
 信仰は、誰彼は関係なく、私と神様の関係の中にあるものです。自分の意思で信じる事が必要です。しかし、その前に、神様が心を開いてくださらなければ、自分の意思で福音を信じる事ができないのです。エマオの途上の弟子たちも、使徒たちも心を開いていただく必要があったのです(ルカ24:31、45新約P.173)。信仰を持ちたいけれども、どうすれば良いかわからない方は、私の心を開いて信じる事ができるようにしてくださいと祈ってください。必ず、神様は答えてくださいます。

2. 占いの霊につかれた女奴隷

 占いの霊につかれた女奴隷は、パウロたちの事について「この人たちは、いと高き神のしもべたちで、救いの道をあなたがたに宣べ伝えています」と叫び伝えました。間違った事は言っていません。しかし、彼女の心は開かれておらず、反対に、反キリストの霊が、支配していたのです。頭で理解しているから救われるのではありません。心開かれたものが、真心からの信仰告白によって救われるのです(マタイ7:21新約P.12)。

  
10.祈祷・・一  同
11.聖餐式49 しみも咎も(聖餐)・・・・寺東真也師
12.献金200 心に悶えあれば (臨在)・・・・一同
13.感謝祈祷 ・・指 名
14.頌栄63 父 御子 御霊の(過去の礼拝録音です) 一同起立
15.祝祷・・・・・・ 寺東真也師
16.報告・・・・・・司会者

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元旦礼拝順序 2024年1月1日 午前11:00〜

 
1.黙祷・・・一 同
2.賛美1 いざ皆きたりて(賛美) ・・一同起立
3.使徒信条・・一  同
4.主の祈り・・一  同
5.祈祷・・・・一同着席
6.賛美149 いつ主は来り給うや (再臨)・・一  同
7.三大祷告
 再   臨
 イスラエル
 日   本
8.聖書・・・・司 会 者
9.メッセージ・・・寺東真也師
 主題 「恵みの良い管理者として」
     第一ペテロ4:7〜11新約P.470

講壇 「恵みの良い管理者として」
  聖句 第一ペテロ4:7〜11

「それぞれが賜物を受けているのですから、神の様々な恵みの良い管理者として、その賜物を用いて互いに仕え合いなさい。」(第一ペテロ4:10)

 新しい年を迎え、主の再臨の日まで着実に時は進んでいます。その日は、万物の終わりの日であり、また、永遠の始まりの日でもあります。クリスチャンにとって、その日は輝かしい待ち望むべき日であるので、いついかなる時、主がおいでになっても良いように備えるべきです。どのように備え、歩むべきかを、今年の大阪教会の標語の中より「恵みの良い管理者」という視点で、みことばに聞きましょう。

◯賜物の管理者

 神様は私たちに、賜物を与えてくださいます。ある人は生まれついた才能を持ち、ある人は、学んだり、訓練を受けて、開花した特技があるかもしれません。また、ある人は、気配りが優れていたり、黙々と忠実に物事に取り組めたり、とても社交的な人もいるように、その人の性格も賜物です。経済的に余裕のある方や、商売が得意な方もいるでしょう。
 自分の生まれや、育ち、才能や特技、すべては神様からの賜物なのです。そして、それらはその人のものでありながら、霊的な視点から見るならば、その人が神の栄光を現す為に、与えられたものであるのです。与えられたものをどのように使用するかは、その人にかかっています。だからこそ聖書は言うのです。

「それぞれが賜物を受けているのですから、神の様々な恵みの良い管理者として、その賜物を用いて互いに仕え合いなさい。」

 では、良い管理者とはどのような管理者なのでしょうか。

1.皆の益になる(第一コリント12:4〜7新約P.344

 良い管理者は、皆の益になる事を優先します。聖書は教会を「キリストの体」と表現しています。そして、クリスチャン一人一人はその体の各器官であるというのです。そして、各器官は、体のために、その器官の働きを、体全体のためにするのです。御霊によって与えられた賜物を、自分の為にだけに使うのではなく、皆の益になる為に、使用するのが、良い管理者なのです。

2. 愛の潤滑油(第一コリント12:31)

 私たちは、神様の栄光を現す為に、より優れた賜物を熱心に求めるべきです。しかし、どれほど、素晴らしい賜物でも、「愛」がなければ、無に等しく、何の役にも立たないものに成り下がります(第一コリント13:1〜3)。何よりもまず、互いに愛し合う愛が、クリスチャン生活の潤滑油なのです。

3.互いに仕え合う

 最後に、「互いに」もてなし合い、仕え合う姿勢が大事です。これは、自分の賜物を良い管理者として、用いて、仕えることは勿論のこと、その反対もある事を受け入れる必要 があります。全てのことを自分一人で完結しようとすることは、責任感が強くて良いように見えるかもしれませんが、共同体の成熟を考える時に、他者に委ね、また、自分がお世話になることも良い意味で受け入れる事のできる信頼関係を築く事が大事なのです(第二テモテ2:1〜2新約P.426)。

  
10.祈祷・・一  同
11.献金386 ナルドの香油 (献身)・・・・一同
12.感謝祈祷 ・・司会者
13.頌栄63 父 御子 御霊の(過去の礼拝録音です) 一同起立
14.祝祷・・・・・・ 寺東真也師
15.報告・・・・・・司会者

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第53主日年末感謝礼拝式順序 2023年12月31日 午前10:30〜

 
1.黙祷・・・一 同
2.賛美22 御神の愛をば (賛美) ・・一同起立
3.使徒信条・・一  同
4.主の祈り・・一  同
5.祈祷・・・・一同着席
6.賛美171 今日まで守られ (感謝)・・一  同
7.三大祷告
 再   臨
 イスラエル
 日   本
8.聖書・・・・司 会 者
9.メッセージ・・・寺東真也師
 主題 「主の良くしてくださった事」
     詩篇103:1〜5旧約P.1040

講壇 「主の良くしてくださった事」
  聖句 詩篇103:1〜5

『わがたましいよ主をほめたたえよ。主が良くしてくださったことを何一つ忘れるな。』詩篇103:2

 人生は嬉しい事や楽しい事だけでできていません。いやむしろ、辛いことや悲しい事の方が多いのではないでしょうか。この詩篇の記者であるダビデは一見、一介の羊飼いが、イスラエル王国の大王にまで成り上がる成功者のように見えなくもありません。しかし、その人生は決して甘くはありませんでした。ダビデは自分の人生を振り返る時、きっとまず思い浮かんだのは人生の辛いシーンだったことでしょう。しかし、その思いと心に、聖霊に満ちたダビデ自身が語りかけるのです。

「わがたましいよ主をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ聖なる御名をほめたたえよ。わがたましいよ主をほめたたえよ。主が良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」

◯感謝すべき事を覚える
・罪を赦して頂いたこと

 まず神様に感謝すべきなのは、私たちの罪を赦して頂いたことです。罪の赦しほど大きな恵みはありません。いつの間にか、救いの恵みが薄れてきていないでしょうか。
 神様は黙示録でエペソの教会に「初めの愛に帰れ」と忠告されています。巨大なアルテミス神殿がある偶像の町に真の神様を信じて救われた人々がエペソの教会でした。困難に耐え、偽使徒にも騙されることなく、信仰を守ってきました。しかし、豊かな生活が、救いの恵みを水増ししたのか、彼らは、初めの愛から知らず知らずのうちに離れてしまっていたのです。クリスチャンから救いの喜びを取ってしまったら、何も残りません。私たちの感謝の源であり、信仰の原動力であるイエス様の愛にいつも帰るようにしましょう。

・病を癒して頂いたこと。

 神様は、私たちの真の癒し主です。近代医学が発達した世の中で、神癒の恵みが薄められています。病院や医者、薬は神様に用いられているにすぎません。もちろんこれらは神様が必要あって人間に知識として与えて下さったものなので軽んじてはいけませんが、万能なる癒し主は神様のみであり、癒しは主から来ることを覚えて感謝いたしましょう。私たちの健康は害して初めてその貴重さに気づくことが出来るのかもしれません。病の中でもそのことを知れたことを感謝するならば、もっと癒し主なる神様を深く知ることになるでしょう。

○感謝は力

 私たちの人生に感謝が溢れる時に、心が豊かさで溢れるようになります。神様に対する感謝は私たちをパワーアップさせる増強剤となるのです。たとえ、私たちの状況が感謝出来ないような状態にあっても神様の恵みを忘れずに感謝する時、私たちの心にはまず平安がやってきます。そして次には、喜びがやってくるのです。

 あなたは神様に感謝すべき事がいくつありますか。神様の恵みを恵みとして受け取り、どんな小さな事でも忘れないで神様の前に出ましょう。

  
10.祈祷・・一  同
11.献金172 望みも消え行くまでに (感謝)・・・・一同
12.感謝祈祷 ・・指 名
13.頌栄63 父 御子 御霊の(過去の礼拝録音です) 一同起立
14.祝祷・・・・・・ 寺東真也師
15.報告・・・・・・司会者

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第52主日クリスマス親子礼拝式順序 2023年12月24日 午前10:30〜

 
1.黙祷・・・一 同
2.賛美76 諸人こぞりて(クリスマス) ・・一同起立
3.使徒信条・・一  同
4.主の祈り・・一  同
5.祈祷・・・・一同着席
6.賛美77 きよしこの夜 (クリスマス)・・一  同
7.三大祷告
 再   臨
 イスラエル
 日   本
8.聖書・・・・司 会 者
9.特別賛美・・聖 歌 隊 10.メッセージ・・・寺東真也師
 主題 「喜びの知らせをあなたに」
     ルカ2:6〜20新約P.110

講壇 「神の導きと時」
  聖句 ルカ2:6〜20

『今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。』(ルカ2:11)

 イエス様がお生まれになった夜、特別にこの知らせを聞いた人々がいました。それは、羊飼い達でした。

◯羊飼いたち

 この時、ローマにローマ皇帝から勅令が出ていました。それは、自分の町にて住民登録をするようにというものでした。ほとんどの成人した人々はこの命令に従って動いていたのです。しかし、社会の底辺にいた人々の中には例外もいたのです。例えば、今日のみことばに出てくる羊飼いたちも、その中の一人であったようです。皆が住民登録をしていた時に、彼らは夜通し働かなければなりませんでした。別の角度から見ると、住民登録はローマに税金を納める為の、準備です。しかし、羊飼いたちは、登録してもしなくても影響が出ない程度の扱いを受けていた人々と言えるのです。
 現代で言うならば、働けど、働けど、生活は豊かにならない貧しい人々と言えるかも知れません。

◯喜びの知らせ

 そんな彼らを、主の栄光が照らし、包んだのです。その体験に彼らは心の底から恐れおののきました。しかし、御使いが伝えたのは、喜びの知らせだったのです。

1. この民全体のため(10節)

 この喜びの知らせは、この民全体に与えられるものでした。イスラエルの民全員にです。さらに、聖書全体の真理から言うならば、造られた全世界のすべての人々のための喜びの知らせなのです。神様はあえて、その時代の、取るに足りないと爪弾き者とされていた羊飼いたちにこの知らせをいの一番に知らせたのです。

2. 主キリスト(11節)

 キリスト(メシア)は油注がれた者という意味で、旧約聖書にて預言されているお方です。当時はローマ皇帝こそがこの世界を平定する「救い主」と崇められていました。しかし、聖書は、人間の本質的な問題である「罪」からの救い主として神様に選ばれ、油注がれたキリストこそ真の救い主であると語るのです(ローマ3:9〜24新約P.301)。

3. 見つける事ができるしるし(12節)

 良い知らせを聞いた時、生まれたばかりの救い主に会いに行くチャンスが羊飼いたちに与えられました。それは、「布にくるまった飼い葉桶に寝ているみどりご」だったのです。羊飼いたちは、その地域の飼い葉桶がある場所を知っていたので捜し出す事ができました。しかし、ある一面、これは、神様が見つけられるようにあえてしてくださり、見つかってくださったと言えます。イエス様を通して、本来、神様のもとに行くことも、見つけることも出来ない罪人が、赦され、義とせられ、神様を見出す(見出させていただく)者とされるのです。
「あなたがたがわたしを捜し求めるとき、心を尽くしてわたしを求めるなら、わたしを見つける。わたしはあなたがたに見出される──主のことば──。・・・』(エレミヤ29:13〜14旧約P.1344

◯証人と礼拝者に(17、20節)

 羊飼い達は、御使いの語ったとおりである事を知り、みどりごがキリストである事を証し、神をあがめ、賛美しながら帰って行きました。救いを受けたクリスチャンは、イエス・キリストの証人であり、礼拝者なのです。

  
11.祈祷・・一  同
12.献金79 天には栄え (クリスマス)・・・・一同
13.感謝祈祷 ・・指  名
14.頌栄63 父 御子 御霊の(過去の礼拝録音です) 一同起立
15.祝祷・・・・・・ 寺東真也師
16.報告・・・・・・司会者
17.挨拶&降誕劇・・・教会学校生徒

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第51主日礼拝式順序【アドベント第三週】 2023年12月17日 午前10:30〜

 
1.黙祷・・・一 同
2.賛美81 諸人声上げ(クリスマス) ・・一同起立
3.使徒信条・・一  同
4.主の祈り・・一  同
5.祈祷・・・・一同着席
6.賛美467 世の終りのラッパ (再臨)・・一  同
7.三大祷告
 再   臨
 イスラエル
 日   本
8.聖書・・・・司 会 者
9.特別賛美・・聖 歌 隊 10.メッセージ・・・寺東真也師
 主題 「神の導きと時」
     使徒16:6〜10新約P.267
     伝道者3:11旧約P.1141

講壇 「神の導きと時」
  聖句 使徒16:6〜10
     伝道者3:11

『神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行うみわざの始まりから終わりまでを見極めることができない。』(伝道者3:11)

 第二次宣教旅行が始まり、パウロとシラスは、リステラにてテモテを連れて行いくことにしました。第一次宣教旅行で救われた人々を励まし、その後、新たな地域にパウロたちは進むことを計画したのでした。

○ 新たな宣教地を目指して
1.アジア宣教の禁止

 パウロたちが計画していたのは、現在のトルコ西部にあたるアジア宣教でした。特に、アジアの中心都市であるエペソにおける伝道を考えていたことでしょう。ピシディアのアンティオキアから、西に進むルートです。しかし、どのような方法であった のかは詳しくは記されていませんが、精霊によってアジアでみことばを語ることが禁じら れたのです(6節)。

2.ビティニア行きの妨げ

 パウロたちは聖霊の導きに従い、西に向かうのではなく、フリュギア・ガラテヤを通り、進路を北に向けて出発し、ミシアまで来た時、さらに、北に向けて歩みを進めビティニアに行こうと計画しました。しかし、またも、イエスの御霊がそれを許されず、留められたので(7 節)、ミシアから西に進み、エーゲ海に面する港町のトロアスに辿り着いたのです(8節)。

3.マケドニア人の叫び

 その夜、パウロはマケドニア人が「マケドニアに渡って来て、私たちを助けてください」(9 節)と叫ぶ幻を見たのです。このことで、パウロたちは、マケドニアにおいてイエス様の福 音を必要とする人々がいる事を確信するのでした。

○ 聖霊の導き

 第一次宣教旅行においては、パウロとバルナバの計画と神様の計画は同じであったので計画通に進んで行きました。しかし、第二次宣教旅行においては、そうでありませんでした。2度も、みことばを語る事を禁じ、進もうとする道を閉ざされたのです。しかし、そこには、明確な神様のご計画と、時が存在していたのです。

1.みことばと福音を必要としない場所はない。

 アジアやビティニアはこの時、福音が語られず、宣教の道が閉ざされました。神様から見 捨てられたのでしょうか。決してそんなことはありません。神様はすべての人が十字架の 血による贖いを必要としている事を知っておられますし、すべての人が悔い改めて救われ る事を願っておられるお方です(第一テモテ2:4新約P.419)。

2.人間の計画を越える神の計画と時が存在する。

 では、なぜ、良いことのはずの宣教や、みことばを語る事を禁じるような事を御霊は導かれ たのでしょうか。それは、人間の計画を越える神様のご計画と時が存在するからです(伝道 者3:11)。宣教の実践は私たちに神様は委ねてくださっていますが、救霊の実を結ばせ てくださるのは、神様ご自身の業なのです。

3.確信をいただく

 私たちは、大胆にみことばを語らせてくださいと願い、用いられる事を祈る必要があります。 しかし、それが、自分勝手な思い込みによる人間の業になってしまうことは避けなければなりません。聖霊の導きの声に聞き、確信を与えられ、平安と喜びに満ちて、主に仕えることがとても大事なのです。(イザヤ30:21旧約P.1215

  
11.祈祷・・一  同
12.献金333×2回 神の時の流れの中で (信頼)・・・・一同
13.感謝祈祷 ・・指  名
14.頌栄63 父 御子 御霊の(過去の礼拝録音です) 一同起立
15.祝祷・・・・・・ 寺東真也師
16.報告・・・・・・司会者

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第50主日礼拝式順序【アドベント第二週】 2023年12月10日 午前10:30〜

1.黙祷・・・一 同
2.賛美78 荒野の果てに(クリスマス) ・・一同起立
3.使徒信条・・一  同
4.主の祈り・・一  同
5.祈祷・・・・一同着席
6.賛美68 久しく待ちにし (アドベント)・・一  同
7.三大祷告
 再   臨
 イスラエル
 日   本
8.聖書・・・・司 会 者
9.メッセージ・・・寺東真也師
 主題 「福音のために生きる」
     使徒16:1〜5新約P.267
     第一コリント 9:19〜23

講壇 「福音のために生きる」
  聖句 使徒16:1〜5
     ローマ 8:28
     第一コリント 9:19〜23

『すべての人に、すべてのものとなりました。何とかして、何人かでも救うためです。』第一コリント9:22

 第二次宣教旅行はパウロとバルナバは互いに違う道を行くことになりました。パウロはシラスと共に、アンティオキアの教会から神の恵みにゆだねられて、シリア、キリキアを抜け、第一次宣教旅行の終端であったデルベ、そして、リステラに行きました。

○リステラの町で

 パウロにとってリステラの町は良い思い出は少なく、命の危機があった町でした。一人の生まれつき足の不自由な男性を癒した奇跡により、地元の人々から、ギリシャ神話の神々に祭り上げられそうになり、その後、ピシディアのアンティオキアとイコニオンの町から後を追いかけてきたユダヤ人たちから石打ちにされたのです。  トラウマになってもおかしくないような思い出の町で、神様は特別な出会いを用意されていました。それは、パウロにとって愛弟子であるテモテとの出会いでした。

○テモテ
1.ハーフであった(1節)

 テモテは、ギリシャ人の父とユダヤ人の母を持つハーフでした。
 本来、ユダヤ人にとって異邦人と結婚する事は御法度です。しかし、エルサレムから離れて住んでいた人々は、少し緩い考えや信仰になっていたのでしょう。しかし、パウロは、ユダヤの信仰と、異邦人の感覚を理解できる器として、異邦人伝道には、とても良いとテモテを見込んだのです。

2.評判の良い人あった

 ハーフという生い立ちが異邦人伝道に役立つという発想は、間違いではありませんが、それだけでは、問題の方があるに違いありません。パウロは、マルコの一度の失敗を受け入れることができないほど熱い信仰の持ち主であったことを考えると、彼らの信仰は、キリストを信じた時から、リバイバルし、純粋で、まっすぐな信仰になっていたようです。後に、パウロはテモテの信仰の純粋さを褒め、それは、祖母、そして母から受け継いだものであることを記しています(第二テモテ1:5新約P.425)。
 また、その結果の現れとして、リステラとイコニオンの教会の兄弟たちの間で、とても評判の良いクリスチャンであった事をルカは記しています(2節)。

○福音のために

 パウロは、テモテをどうしても宣教旅行に連れ行きたいと考え、異邦人とユダヤ人のハーフという事が、異邦人には好都合でも、ユダヤ人たちには、それが、欠点となってしまう事をパウロは知っていました。そこで、パウロはテモテに割礼を受けさせたのです。
 パウロは律法主義の割礼派に妥協したのでしょうか。決してそうではありません。パウロにとって割礼の有無が大事な事なのではなく、福音による新生を重要視していたからです(ガラテヤ6:15新約P.383)。誤解を恐れず言うならば、割礼自体は悪いものではなく、ユダヤ人にとって、大切なものである事を認めつつも、それは、型であり、心の割礼こそが本物の割礼だからです(ローマ2:29新約P.300)。
 パウロはユダヤ人も異邦人も獲得するために、あえて、テモテに割礼を施したのです(第一コリント9:19〜23新約P.339)。神様は、人の動機をご覧になります。福音のために生きた人々を、主は祝福され、諸教会も祝福されて人数も増し加えられたと記されているのです(5節)。

10.祈祷・・一  同
11.献金406 主にありて生くるとき (献身)・・・・一同
12.感謝祈祷 ・・指  名
13.頌栄63 父 御子 御霊の(過去の礼拝録音です) 一同起立
14.祝祷・・・・・・寺東真也師
15.報告・・・・・・司会者

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第49主日礼拝式順序【アドベント第一週】 2023年12月3日 午前10:30〜

1.黙祷・・・一 同
2.賛美70 朝日は昇りて(アドベント) ・・一同起立
3.使徒信条・・一  同
4.主の祈り・・一  同
5.祈祷・・・・一同着席
6.賛美75 神の御子は (クリスマス)・・一  同
7.三大祷告
 再   臨
 イスラエル
 日   本
8.聖書・・・・司 会 者
9.メッセージ・・・寺東真也師
 主題 「全てのことを益に」
     使徒15:36〜41新約P.266
     ローマ 8:28新約P.310

講壇 「全てのことを益に」
  聖句 使徒15:36〜41
     ローマ 8:28

「神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。」ローマ8章28節

 第一次宣教旅行を終えて、帰ってきたパウロとバルナバを待っていたのは立法主義割礼派の間違った教えの脅威でした。しかし、教会は聖霊の導きにより、しっかりと神様の恵みに立ち信仰義認の姿勢を貫いたのでした。

○第二次宣教旅行に向けて

 パウロとバルナバはしばらくアンティオキアに留まって福音を宣べ伝えましたが、もう一度、第一回宣教旅行の中で、救われた人々を訪問して励ましに行く計画を立てたのでした(36節)。パウロとバルナバは福音を宣べ伝えっぱなしではなく、生まれたばかりの信仰者のための助けになるべく行動したのです。イエス様の大宣教命令は伝道、受洗に終わるものではなく、全てのことを教えることに繋がるのです(マタイ28:19〜20新約P.64)。

○激しい議論に

 パウロとバルナバは再び宣教してきた地を訪問することで一致していました。しかし、宣教チームを再構築する際に、二人の中に大きな軋轢を生むことになってしまったのです。それは、マルコと呼ばれるヨハネをもう一度一緒に連れて行くかどうかという点でした。
 バルバナは、マルコをもう一度一緒に連れて行くつもりでした。しかし、パウロは第一次宣教旅行の途中で中途半端に離脱したような者は、連れて行かない方が良いという考えだったのです。

○バルナバ

 バルナバは「慰めの子」という意味の名前です。そして、その名の通り、隣人を愛し、受け入れ、育てることを大事にする人でした。パウロ本人も、バルナバの執り成しのゆえに、教会に受け入れてもらえたと言っても過言ではありません。そして、マルコに対してもバルナバは寛容であり、一度の失敗で見捨てることなく、導きの手を伸べ続けようしたのです。

○パウロ

 パウロの信仰の情熱は誰よりも熱いものがあります。迫害者であった際も、その一面は一貫しており、 竹を割ったような性格であり、主を愛する愛は一途そのものでした。 イエス様も、「・・・鋤に手をかけてからうしろを見る者はだれも、神の国にふさわしくありません。」(ルカ9:62新約P.134)と仰っておられる事を鑑みると、神様に対する私たちのあり方を考えさせられるものがあります。

○正しさの中の弱さ

 二人の対立はどちらが正解で不正解というような者ではありません。この時、激しい議論になり、最終的には「互いに」別行動をとることにしたのです。バルナバはマルコを連れてキプロスへ、パウロはシラスを連れてシリア、キリキア方面へ行きました。この時、どちらも、自分の意見、正義を有し、その主張を曲げませんでした。決して喧嘩別れをしたわけではありませんが、キリストにある一致を成熟の基準とするならば、両人とも、弱さがあったと言えます。正しさと正しさがぶつかる時、キリスト者の真価が問われるのでしょう(伝道者7:16旧約P.1147)。

○全てを益に

 別々の道を選んだパウロとバルナバでしたが、図らずも、一つの宣教チームが、二つとなり、それぞれが主にあって用いられる結果となっていったのです。主は弱さをも益としてくださるお方です。

10.祈祷・・一  同
11.聖餐式49 しみも咎も(聖餐)・・・・寺東真也師
12.献金340 救い主イェスと (恵みの成長)・・・・一同
13.感謝祈祷 ・・指  名
14.頌栄63 父 御子 御霊の(過去の礼拝録音です) 一同起立
15.祝祷・・・・・・寺東真也師
16.報告・・・・・・司会者

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第48主日親子礼拝式順序 2023年11月26日 午前10:30〜

1.黙祷・・・一 同
2.賛美486 雄々しくあれ(子ども) ・・一同起立
3.使徒信条・・一  同
4.主の祈り・・一  同
5.祈祷・・・・一同着席
6.賛美151 永遠の安き来りて (再臨)・・一  同
7.三大祷告
 再   臨
 イスラエル
 日   本
8.聖書・・・・司 会 者
9.メッセージ・・・寺 東 栄 化 師
 主題 「主よ感謝します」
     ルカ 7:36〜50新約P.125
     ローマ 8:28新約P.310

講壇 「主よ感謝します」
  聖句 ルカ 7:36〜50
     ローマ 8:28

『そして彼女に、「あなたの罪は赦されています」と言われた。』ルカ7:48

 イエス様がシモンというパリサイ人の家へ食事に招待された時の事です。一人の「罪深い女」 がその場にやってきて、泣きながら、イエス様の足を涙で濡らし、自分の髪の毛で足の汚れをぬぐって何度も足に口づけしました。そして、高価な香油をイエス様の足に塗ったのでした。

○シモンが見ていたもの
1.女性の罪

 シモンはこの女性がやってきた時から心の中である思いが浮かび上がってきました。それは、この女性に対する軽蔑の思いです。
「この人がもし預言者だったら、自分にさわっている女がだれで、どんな女であるか知っているはずだ。この女は罪深いのだから」(39節)
 どのような罪を犯していた女性かは具体的には書かれていませんがおそらく、道徳的性的な罪を犯し、しかも、この町の人が知っているほどの常習的なものであったのでしょう。

2.イエス様の対応

 もう一つは、罪深い女性に対してどのような対応をするかです。預言者ならば、罪深い女であることを見抜いてあしらうはずと、高みの見物を決め込んだのです。

3.自分の義

 そして、何より彼が見ていたものは自分自身の義でした。彼は意識せずとも、「この中で自分が一番正しい」と考えていたのです。
 女性に対しては、自分がパリサイ人で罪に沈み汚れた女性のようでない事さえ感謝するような感覚であったに違いありません(ルカ18:9〜12)。また、イエス様に対しては、自分の正しい目で見て、本物かどうかを見てやろう、ないしは、化けの皮を剥がしてやろうと、上から目線でイエス様に接して いたのです。なぜなら、彼は本来、客人に対して行う最低限のおもてなしさえも怠っていた からです(44〜46節)。彼は、自分で自分を正しいとする義の上にあぐらをかいていた のです。

○罪深い女が見ていたもの
1.イエス様の恵み

 彼女はイエス様が病人(罪の因果と考えられていた)を癒やし、心の貧 しい者たちに福音が語られ、友となられるイエス様の恵みを見ていました。

2.目の前におられるお方

 そして、何より、今目の前にいる愛と恵みに溢れたお方のみを見ていました。自分がいかに 罪深い者であっても、受け入れ、赦し、包み込んでくださるお方に目を向けていたのです。 彼女は信仰の目をもってイエス様を仰ぎ見ました。そこに救いがあったのです(イザヤ45:22旧約P.1245)。

○赦されただけ愛した女

 彼女はなりふり構わず、赦された事の感謝と愛をもって、自分に出来ることの限りを尽くして行動しました(38節)。間違えてはならないのは、罪を赦して欲しくてとか、赦されるために行動したのではないという事です。こんな自分を受け入れてくださったから、赦されたからこそ行動したという事実です。

「ですから、わたしはあなたに言います。この人 は多くの罪を赦されています。彼女は多く愛したのですから。赦されることの少ない者は、愛することも少ないのです。」(47節)

10.祈祷・・一  同
11.献金268 御国の心地す (救いの喜び)・・・・一同
12.感謝祈祷 ・・指  名
13.頌栄63 父 御子 御霊の(過去の礼拝録音です) 一同起立
14.祝祷・・・・・・ 寺 東 栄 化 師
15..報告・・・・・・司会者

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第47主日礼拝式順序 2023年11月19日 午前10:30〜

1.黙祷・・・一 同
2.賛美474 主がわたしの手を(子ども) ・・一同起立
3.使徒信条・・一  同
4.主の祈り・・一  同
5.祈祷・・・・一同着席
6.賛美475 まもなくかなたの (子ども)・・一  同
7.三大祷告
 再   臨
 イスラエル
 日   本
8.聖書・・・・司 会 者
9.メッセージ・・・寺東真也師
 主題 「イエス様に喜ばれる信仰」
  聖句  ルカ7:1〜10新約P.123
      ヘブル11:1新約P.451

講壇 「イエス様に喜ばれる信仰」
  聖句 ルカ7:1〜10
     ヘブル11:1

「さて、信仰は、望んでいることを保証し、目に見えないものを確信させるものです。」ヘブル11章1節

 イエス様に喜ばれる信仰とはどのような信仰なのでしょうか。
 ローマの百人隊長のしもべの一人が病気でしかも死にかけており、百人隊長は使いを送ってイエス様に癒してくださるようにお願いしに来ました。
 最終的にイエス様はこの百人隊長の信仰を次のように称賛されました。

「あなたがたに言いますが、わたしはイスラエルのうちでも、これほどの信仰を見たことがありません。」(9節)

 この百人隊長の信仰をイエス様はとても喜ばれたのです。この百人隊長の信仰をみことばから聞きましょう。

1. 神の前に立つ資格

 百人隊長という役職はその名の通り100人の部下を持つ隊長です。しかもビジネス的な部下ではなく、部下の命をも左右する事の出来る立場であり、絶対的な上下関係が存在する関係なのです。立場が人を作ると言いますが、悪い意味において立場が人を傲慢にすることもあります。しかし、この百人隊長は、神の前にある自分の資格(価値、値打ち)を理解していました。
 ユダヤ人の長老たちは、百人隊長は神の憐みと恵みを受けるに相応しいと値踏みしました。なぜならば、ユダヤ人を愛し、私財を用いて会堂を建ててくれるような人物だったからです。しかも、「しもべ」という時「ドゥーロス(奴隷)」ではなく「パイス(子、若者)」を癒してくださいと表現するほど、部下想いな人であったからです。
 しかし、神の前に立つ資格はその人がどれだけ善行を行ったとか、人格的に優れているかで決まるものではありません。
 百人隊長は家の近くまで来た時に友人たちを遣わしてイエス様に伝えました。

「主よ、わざわざ、ご足労くださるには及びません。あなた様を、私のような者の家の屋根の下にお入れする資格はありませんので。ですから、私自身があなた様のもとに伺うのも、ふさわしいとは思いませんでした。」(6〜7)

 自分が異邦人であり、神の民と同格に扱われるのは違うと思っていたのでしょう。また、それ以上に、イエス様の前に立てる資格(価値、値打ち)はないとバプテスマのヨハネ(ルカ3:16)やペテロ(ルカ5:8)のように霊的に自覚していたのです。神への正しい畏れは信仰の一歩です。

2. 徹底したみことば信仰

「ただ、おことばを下さい。」(7節)。この一言の中に、百人隊長の信仰の中心が輝いています。軍隊の規律は権威によって統制されています。その事を身をもって知っている百人隊長は、だとすれば、この世の全てのものは神の権威のもとに服していると信じる事が出来たのです。イエス様のことばには権威があり、病さえも従うのだと(8節)。
 この信仰を神様は喜ばれ、百人隊長のしもべは、イエス様と物理的に会うことなく癒されます(10節)。
 そこには畏れだけでなく、必ず救って下さる恵み深いお方への愛と信頼が溢れていたのです。

10.祈祷・・一  同
11.献金282 見ゆるところによらず (信仰)・・・・一同
12.感謝祈祷 ・・指  名
13.頌栄63 父 御子 御霊の(過去の礼拝録音です) 一同起立
14.祝祷・・・・・・寺東真也師
15.幼児祝福式505 は (永遠)・・・・寺東真也師
16.報告・・・・・・司会者

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第46主日礼拝式順序 2023年11月12日 午前10:30〜

1.黙祷・・・一 同
2.賛美233 驚くばかりの(救い) ・・一同起立
3.使徒信条・・一  同
4.主の祈り・・一  同
5.祈祷・・・・一同着席
6.賛美516 ヨルダンの彼方に (永遠)・・一  同
7.三大祷告
 再   臨
 イスラエル
 日   本
8.聖書・・・・司 会 者
9.特別賛美・・聖 歌 隊
10.講師紹介・・・・寺東真也師
11.メッセージ・・・花岡甲一師
 主題 「永遠を目指して生きよう。」
  聖句 詩篇90:10〜12旧約P.1030

講壇 「永遠を目指して生きよう。」
  聖句 詩篇90:10〜12

「どうか教えてください。自分の日を数えることを。そうして私たちに知恵の心を得させてください。」詩篇90篇12節

 さて今日は、人生が駆け足で過ぎ去る事につて語っている聖書箇所をまずお読みいたします。(詩篇90篇10〜12)
『私たちの齢は七十年。健やかであっても八十年。そのほとんどは労苦とわざわいです。瞬く間に時は過ぎ私たちは飛び去ります。だれが御怒りの力をあなたの激しい怒りの力を知っているでしょう。ふさわしい恐れを持つほどに。どうか教えてください。自分の日を数えることを。そうして私たちに知恵の心を得させてください。』
 現在の日本人の平均寿命は、男性が81歳、女性が87歳です。しかし、旧約聖書の中で120年生きたモーセは、たとえ80年生きても、瞬く間に時は過ぎ私たちは飛び去ります。と語っています。ところで,80年の人生を人は何に時間を使っているのか、という統計があります。それによりますと、睡眠に26年と6か月、食事に3年4か月、トイレに1年2か月、学校で2年7か月、職場にいる時間は、9年6か月、そして出勤の為の移動時間が2年であります。と言う事は、約45年は、生活に使っているのです。そこで残り35年はとなりますが、ここから義務教育、高校、大学の15年を引きますと、本当に自立した大人として自由に使える時間は、たった20年だけだと言うのです。そして人生のほとんどは、食べて、出して、寝る事だというのです。もしそれだけが人生だとしたら、それは豚と変わらない虚しい人生と言えるでしょう。しかし、モーセは、ここで3つの事を語っているように感じます。
 第一に、人生には、締切があることを知りなさい。と語っているように思います。世の中には、時々、天才的な人が現れます。しかし、どんな天才といえども、晩年の悩みは共通するのです。それは、未完の作品を前にして、知る自分の小ささです。ミケランジェロの晩年は、イエスキリストが十字架で息を引き取って降ろされる作品が多いのですが、そのほとんどが未完成です。又、モーツアルトのレクイエムも未完成です。多くの人々が自分の人生を終える時に、やり残したことに心残りを感じるのではないでしょうか。
 第二に、永遠の神の前に立つ準備をしなさいと語っています。ちょうど私たちが、海外旅行に行く時に色々と準備をします。着替えやガイドブックを買ったりします。しかし、一番肝心なことは、必ずパスポートを準備しビザを取る事です。ましては、神の御前に立ち永遠の天の御国に入るために、イエスキリストを救い主と受け入れる事は、何よりも大切な準備なのです。聖書には、「この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人間に与えられていないからです。」使徒4:12新約P.239とあるのです。
 第三に、永遠を勘定に入れた人生を歩む事の勧めです。それは、私達が永遠の御国に行っても永遠に価値を失わないものを求めて人生を使う事です。 ある新聞記事に日本の生んだ科学者の人気投票の中では、断トツ第一位は、野口英世だそうです。彼は、東北の極貧困農家の出身で火傷のハンディを乗り越えて世界的な医者になり、ついには、アフリカ・ガーナの人々のために命をささげた人でした。もし彼が亡くなっていなければ日本人初のノーベル医学賞の第一号なるはずの人でした。実は彼は、明治28年19歳の時、会津若松の教会で洗礼を受けています。それは、この教会が始まって3人目のクリスチャンでした。この教会生活を通して牧師から英語を学び、また日曜学校で子供たちに聖書を教えたのです。やがて医師を目指して東京に上京した時の下宿先は、本郷中央キリスト教会の二階の部屋だったのです。その後、明治35年、アメリカに渡りました。彼の生涯は、神と人を愛する事に命をかけた生涯だったのです。あなたも同じ永遠に向かって価値ある人生を歩みませんか。

12.祈祷・・一  同
13.献金517 はるかに仰ぎ見る (永遠)・・・・一同
14.感謝祈祷 ・・指  名
15.頌栄63 父 御子 御霊の(過去の礼拝録音です) 一同起立
16.祝祷・・・・・・花岡甲一師
17.報告・・・・・・司会者

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第45主日礼拝式順序 2023年11月5日 午前10:30〜

1.黙祷・・・一 同
2.賛美263 罪 咎を赦され 神の子とせられ(救いの喜び) ・・一同起立
3.使徒信条・・一  同
4.主の祈り・・一  同
5.祈祷・・・・一同着席
6.賛美454 立ちあがれいざ (霊の戦い)・・一  同
7.三大祷告
 再   臨
 イスラエル
 日   本
8.聖書・・・・司 会 者
9.メッセージ・・・寺東真也師
 主題 「愛のゆえに」
  聖句 使徒15:1〜35新約P.264

講壇 「愛のゆえに」
  聖句 使徒15:1〜35

『聖霊と私たちは、次の必要なことのほかには、あなたがたに、それ以上のどんな重荷も負わせないことを決めました。』(使徒15:28)

 第一次宣教旅行からシリアのアンティオキアにパウロとバルナバ戻りました。そして、しばらくした時、ユダヤから来た人々が、兄弟姉妹を混乱させる教えを説き始めたのです。それは次のような教えでした。 「モーセの慣習にしたがって割礼を受けなければ、あなたがたは救われない」(1節)
 この事を聞いたパウロとバルナバは激しく反対し、論争になったのです。これをゆゆしき事態であると判断したパウロとバルナバと幾人かの人々は使徒達や長老たちと話し合う為にエルサレムへ上ったのです(2節)。この時の話し合いと決議はとても重要なもので、キリスト教会の中では、「エルサレム会議」と呼ばれています。

◯エルサレム会議の争点

 エルサレム会議の争点は、「異邦人クリスチャンも律法を守り、割礼を受けるべきである」というものです。要するに、人が救われる為には、イエス・キリストの福音を信じる事と共に、割礼(律法を守る事)も必要であると言う考え方です。
 これに対して、教会の代表であるペテロが口を開き、以前に経験した異邦人の救いと神様が与えられた証(聖霊に満たされた事)を語りました。これはコルネリウスの事です(使徒10章から11章18節)。これを聞いた会衆は静かになり、さらにパウロとバルナバの 宣教旅行における 証に耳を傾けました。
 そして、最後に主の兄弟であるヤコブが アモスの預言の言葉を引用し、一定の配慮を行うのみにとどめるよう締めくくりました(16〜18)。

◯異邦人クリスチャンに求めたもの

 この時、教会が異邦人クリスチャンに求めたものは、次の四点でした(20〜21、29節)。
1. 偶像に供えたもの
2. 血
3. 締め殺したもの
4. 淫らな行い
 すべては、偶像礼拝につながるものです。 ただし、 救いの要件としてではありません。 自分自身が信仰から離れてしまわないためにと、ユダヤ人クリスチャンへの配慮からです。後にパウロは食べ物についての教えを語っています(ローマ14:20新約P.321、第一コリント8章新約P.337)。

◯聖霊と私たち

 救いの根幹に関わる大切なことを話し合ったわけですが、以前のように、くじを引いて決定する事はありませんでした。最初に皆で十分に話し(7節)、神の導きとみことばを確認し(7〜21)、一致をして決議しました(22節)。
 そこには、ただ、民主的に話し合いで決めたのではなく、神頼みのくじを引いたわけではない、聖霊の臨在の中で、私たちは話し、決議した事をまっすぐにアンティオキアとその周辺の教会の兄弟姉妹に伝えることにしたのです。

◯そこに愛があるか

・神への愛
 エルサレム教会は決定した事を伝える為に、パウロとバルナバに加え、2名(ユダとシラス)の使者立てました。これは、律法に則った正式な方法です(申命記19:15旧約P.349)。神様の前に誠実にあり、神様への愛の表れと言えます。

・人への愛
 また、先にも触れましたが、四つの指示は律法を大切にしているクリスチャンたちへの配慮と自分自身への配慮である事は、自分自身を愛するようにと隣人をも愛することにつながります。罪以外のすべてのことは許されている自由 を私たちは持っていますが、 その自由を愛することのために使うべきです(ヨハネ13:34新約P.213)。

10.祈祷・・一  同
11.聖餐式49 しみも咎も(聖餐)・・・・寺東真也師
12.献金416 聖霊来れり (聖霊)・・・・一同
13.感謝祈祷 ・・指  名
14.頌栄63 父 御子 御霊の(過去の礼拝録音です) 一同起立
15.祝祷・・・・・・寺東真也師
16.報告・・・・・・司会者

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第44主日召天者記念礼拝式順序 2023年10月29日 午前10:30〜

1.黙祷・・・一 同
2.賛美513 悩み多き浮世を(永遠) ・・一同起立
3.使徒信条・・一  同
4.主の祈り・・一  同
5.祈祷・・・・一同着席
6.賛美470 懐しき住まい (天国)・・一  同
7.三大祷告
 再   臨
 イスラエル
 日   本
8.聖書・・・・司 会 者
9.特別賛美・・聖 歌 隊
10.メッセージ・・・寺東真也師
 主題 「復活の希望」
  聖句 第一テサロニケ4:13〜18新約P.412

講壇 「復活の希望」
  聖句 第一テサロニケ4:13〜18

「眠っている人たちについては、兄弟たち、あなたがたに知らずにいてほしくありません。あなたがたが、望みのない他の人々のように悲しまないためです。」第一テサロニケ4章13節

 イエス様が天に昇られて後、弟子達は聖霊に満たされて、福音を世界に伝えるべく遣わされていきました。福音は、国境を越えて、小アジア、ヨーロッパにまで伝えられ、各地においてイエス様を信じる者たちの群れである教会が誕生したのです。しかし、生まれたばかりの教会には、様々な問題や課題があり、それらと戦うために、健全な教えと指導が必要であったために、新約聖書の大半の書簡は記されたのです。

◯再臨と死の問題

 弟子達はイエス様の十字架の死と復活による贖罪、そして、来るべき再臨の希望を語りました。自分たちが見聞きし、実際に触れたお方がもう一度、来られるという教えは、現実味に溢れた素晴らしいものでした。しかし、再臨が自分たちの生きている時代に起こり得るのだという健全な待望による再臨信仰にも、初代クリスチャン達の肉体の死を経験していく時に、健全な知識不足により、聖徒の死を健全に受け止められず、その信仰にダメージを負う人々が出てきたのです。
 イエス様は帰って来てくださる。しかし、それまでに仲間が一人、また一人と死んでいく現実に、肉体の死と信仰者の死後に不安を抱き始めたのです。
 そこで、パウロは信仰者の肉体的な死について、又、再臨の時に、クリスチャンの死者はどうなるのかを手紙に記したところが、今日の聖書箇所です。

◯過去形の恵み

 パウロは死んだ人々を思う時に、主がまず、私たちに何をしてくださったのかを書き記します。

イエスが死んで復活された、と私たちが信じているなら、神はまた同じように、イエスにあって眠った人たちを、イエスとともに連れて来られるはずです。」(14節)

 イエス様は私たちの罪を背負って十字架で死んでくださいました。また、それだけでなく、死を打ち破って復活されたのです。これは、信じる者に与えられる恵みのひな形です(ローマ6:3〜5新約P.305)。

◯未来形の恵み

「すなわち、号令と御使いのかしらの声と神のラッパの響きとともに、主ご自身が天から下って来られます。そしてまず、キリストにある死者がよみがえり、それから、生き残っている私たちが、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられ、空中で主と会うのです。こうして私たちは、いつまでも主とともにいることになります。」(16〜17節)
 イエス様は時が満ちた時、もう一度この世界に来られます。

・再臨と死者と生者

 主が来られる時の基本原則はキリストにある死者がその時生きているキリスト者よりも優先されます。イエス様が初めに空中に再臨されるのですが、そこに引き上げられることを携挙と言います。そこに、まず、キリストにある死者がよみがえって引き上げられ、その後、生きているキリスト者が引き上げられると言うのです。

◯再臨は希望

 主がもう一度来られる時こそ、希望の成就であり、永遠の始まりなのです。
 先に召された生徒も、今、この時代の中に使命を持って生かされている私たちも、その日を待ち望む者はなんと幸いなものとされている事でしょうか。

11.祈祷・・一  同
12.献金467 世の終わりのラッパ (再臨)・・・・一同
13.感謝祈祷 ・・指  名
14.頌栄63 父 御子 御霊の(過去の礼拝録音です) 一同起立
15.祝祷・・・・・・寺東真也師
16.報告・・・・・・司会者

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第43主日礼拝式順序 2023年10月22日 午前10:30〜

1.黙祷・・・一 同
2.賛美263 罪 咎を赦され 神の子とせられ(救いの喜び) ・・一同起立
3.使徒信条・・一  同
4.主の祈り・・一  同
5.祈祷・・・・一同着席
6.賛美463 喜びもて (再臨)・・一  同
7.三大祷告
 再   臨
 イスラエル
 日   本
8.聖書・・・・司 会 者
9.メッセージ・・・寺東真也師
 主題 「委ねる信仰」
  聖句 使徒14:19〜28新約P.264

講壇 「委ねる信仰」
  聖句 使徒14:19〜28

「また、彼らのために教会ごとに長老たちを選び、断食して祈った後、彼らをその信じている主にゆだねた。」使徒14章23節

 リステラにおいて、生まれつき足の不自由な人を癒すという素晴らしい神の業が行われました。しかし、人々は勘違いをし、パウロとバルナバを異邦の神々の化身として祭り上げようとしたのですが、なんとかして、説得しやめさせたのでした(使徒14:18)。

◯追いかけてきたユダヤ人達

 リステラの町において、思ったように宣教の実が結ばれない中、更なる悪い出来事がパウロ達を襲いました。それは、ピシディアのアンティオキアとイコニオンにおいて、妬みに燃え、反対派になったユダヤ人達が、リステラまでやってきて、リステラの町の人々を巻き込み、パウロを石打ちにしたのです(19節)。
 ユダヤ人達はパウロが死んだものと思い、町の外に引きずり出したのですが、パウロは生きていました。そして、次の町であるデルベに行き、福音を宣べ伝え、ここでは多くの者が弟子となったのでした。

◯第一次宣教旅行の折り返し

 第一次宣教旅行はデルベが折り返し地点となります。というか、アンティオキアからキプロスを経由してパンフィリアからピシディアのアンティオキア、イコニオン、リステラ、デルベと時計回りに宣教してきたと言え、そのまま東に向かうと、パウロの故郷であるタルソ、そして、その更に東がシリアのアンティオキアで出発地点となる教会がある町です。
 しかし、パウロとバルナバは、直帰するのではなく、来た道を反時計回りに遠回りして、アンティオキアまでの道を歩み始めたのです。それは、ひとえに、町々で生まれた教会を励まし、強める為だったのです。一つ間違えば殺されていたかもしれない経験をしてもです。

◯苦しみを経て

 パウロは各町のクリスチャン達に信仰にしっかりととどまるように勧め、語りました。

「私たちは、神の国に入るために、多くの苦しみを経なければならない」(22節)

 信仰を持つことは、この地上において利益を得ることが本質ではありません。それどころか、信仰を持つが故に、戦いがあり、自分の十字架を負ってキリスト共に生きることであるというのです(ルカ9:23新約P.131)。

◯委ねること

 パウロとバルナバにとって一番チャレンジであったことはなんだったのでしょうか。自分が辛い目に遭うよりも、信じて救われたばかりの教会の人々が、辛い目に遭うことだったと思います。親の一番の痛みは子供の痛みだからです。パウロは、自分が宣教旅行に出かける際、アンティオケ教会も神様の恵みに、「委ねて」送り出したのです(27節)。そして、自分もまた、新しく建て上げられた教会の人々のために、長老を任命し、主の手に委ねたのでした。これこそ、信仰のなせる業です。

◯神様につく信仰

 すべての教会の目指すべき姿があります。それは、牧師やリーダーなど人につくのではなく、神様につく信仰に成長することです。教会は互いに愛し合い、信頼し合うものですが、人間に依存する事による結びつきで成長するのではないのです(第一コリント1:12〜13新約P.326)。

10.祈祷・・一  同
11.献金372 聖なる者と (きよめ)・・・・一同
12.感謝祈祷 ・・指  名
13.頌栄63 父 御子 御霊の(過去の礼拝録音です) 一同起立
14.祝祷・・・・・・寺東真也師
15.報告・・・・・・司会者

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第42主日礼拝式順序 2023年10月15日 午前10:30〜

1.黙祷・・・一 同
2.賛美215 神は汚れたる世人のため(神の愛) ・・一同起立
3.使徒信条・・一  同
4.主の祈り・・一  同
5.祈祷・・・・一同着席
6.賛美464 汚れと争いは (再臨)・・一  同
7.三大祷告
 再   臨
 イスラエル
 日   本
8.聖書・・・・司 会 者
9.メッセージ・・・寺東真也師
 主題 「信仰によって」
  聖句 使徒14:8〜18新約P.263

講壇 「信仰によって」
  聖句 使徒14:8〜18

この恵みのゆえに、あなたがたは信仰によって救われたのです。それはあなたがたから出たことではなく、神の賜物です。」エペソ2章8節新約P.386

 イコニオンでも福音に反対するユダヤ人達は町の人々を扇動し、パウロとバルナバを迫害し殺そうと企てたので(5節)、リカオニアのリステラという町に難を逃れ、そこで福音宣教を行いました。

◯力ある業

 イエス様はペンテコステ後、福音が神様からのもであり、確かなものである事を証される為に、不思議で力ある業を使徒たちによって行われました(マルコ16:20)。
 リステラにおいても一つの力ある業がなされたのです。それは生まれつき足が動かず、今まで歩いたことのない男性の癒しです。パウロはこの男性に癒されるにふさわしい信仰があるのを見て、信仰のチャレンンジを与えました。

 「自分の足で、まっすぐに立ちなさい」(10節)

 すると、その男性は飛び上がって歩き出したのです。彼が持っていたふさわしい信仰とはどのような信仰なのでしょうか。イエス様は、弟子たちに「からし種」ほどの信仰があれば、山を動かし(マタイ17:20新約P.35)、深く根を張った桑の木を海の中に植え替える(ルカ17:6新約P.153)ことさえできると教えられました。

◯本当に大事なもの

 初代教会の時代に福音が語られ、多くの人が救われる為に、力ある業は、主が許され有効に用いられたのですが、本質的な事で誤解を生むことに気をつけなければならない事を今日のみことばは私たちに語りかけています。
 リステラの町には、ある神話が語り継げられていたそうです。それは、ギリシャ神話の主神であるゼウスと、その息子ヘルメスが人間の形をとって町を訪れたというのです。しかし、町の人々はそのことに気付かず、だれも歓迎しようとはせず、一組の老夫婦のみが、自宅に招いて歓迎し、自宅に泊めたのです。その結果、この老夫婦以外をゼウスとヘルメスは、洪水で滅ぼしてしまったというお話です。
 この影響で町の人々は、業を行ったバルナバをゼウス、パウロをヘルメスと思い込み、祭り上げ、生贄を捧げようとし始めたのです。
 このリステラの町の人々にとって、大事だったことは、神話の中の教訓であり、2度と不幸が起きないようにする事でした。聖書はこう語っています。

「ユダヤ人はしるしを要求し、ギリシア人は知恵を追求します。しかし、私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えます。ユダヤ人にとってはつまずき、異邦人にとっては愚かなことですが、ユダヤ人であってもギリシア人であっても、召された者たちにとっては、神の力、神の知恵であるキリストです。」(第一コリント1:22〜24新約P.327

 私たちに与えられている救いの本質は、罪からの救いです。しかし、信仰の本質がいのちから、ご利益に転換されてしまい、知識やしるしを求めてしまうのが人間といえます。見える、感じる、体験できる「証拠」を求め、神の愛や恵みがなおざりにされる時、本質を見失うのです。業を通して、信仰が強められるのであれば、それは有益ですが、業だけが、独り歩きするならば、魔術や占いと変わらないものとなってしまうのです。私たちが誇るべきは十字架に架かられたイエス様のみなのです。

10.祈祷・・一  同
11.献金299 山辺に向かいてわれ (信頼)・・・・一同
12.感謝祈祷 ・・指  名
13.頌栄63 父 御子 御霊の(過去の礼拝録音です) 一同起立
14.祝祷・・・・・・寺東真也師
15.報告・・・・・・司会者

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第41主日礼拝式順序 2023年10月8日 午前10:30〜

1.黙祷・・・一 同
2.賛美216 ここに真の愛あり(神の愛) ・・一同起立
3.使徒信条・・一  同
4.主の祈り・・一  同
5.祈祷・・・・一同着席
6.賛美463 喜びもて (再臨)・・一  同
7.三大祷告
 再   臨
 イスラエル
 日   本
8.聖書・・・・司 会 者
9.メッセージ・・・寺東真也師
 主題 「それでも教会を建て上げる」
  聖句 使徒14:1〜7新約P.263

講壇 「それでも教会を建て上げる」
  聖句 使徒14:1〜7

「それでも、二人は長く滞在し、主によって大胆に語った。主は彼らの手によってしるしと不思議を行わせ、その恵みのことばを証しされた。」使徒14章3節

 ピシディアのアンティオキアのユダヤ人達にねたまれ、迫害されて追い出されたパウロとバルナバは、それでも喜びと聖霊に満たされて、イコニオンという町に行きました(使徒13:50〜52)。
 14章のはじめに、こう記されています。
「イコニオンでも、同じことが起こった。」(1節前半)

○良い事と悪い事

 ピシディアのアンティオキアで起こった事と同じ事がイコニオンでも起こったのです。それは良いことも、悪いことも、同じように起こりました。

1.良い事

 パウロとバルナバはイコニオンの町でもユダヤ人の会堂に入って福音を語ったのですが、福音を聞いて、ユダヤ人もギリシャ人も福音を受け入れた人々が大勢おこされたと言うのです(1節後半)。アンティオキアでも多くの異邦人が救われましたが、イコニオンでも、多くのものが救われたのです。

2.悪い事

 しかし、同じ事がおこったのは、人々が大勢救われると言う良い事だけではありませんでした。やはり、信じようとしないユダヤ人あちは、おそらく、アンティオキアのユダヤ人と同じようにねたみに燃えて、信じないだけでなく、反対運動として、イコニオンでは、異邦人達を扇動して、信仰者達に悪意を抱かせたのでした(2節)。

○それでも

 人間は、良い事よりも悪い事が起こった記憶の方が鮮明に残ります。そして、その痛みの記憶から、それを回避するような動きをしてしまうのではないでしょうか。しかし、パウロとバルナバは違いました。
「それでも、二人は長く滞在し、主によって大胆に語った。」(3節前半)
 すると、神様も彼らの手によってしるしと不思議を行わせ、恵みのことばを確かなものとされたのです(3節後半)。

○剣をもたらすために

 すると、今回、町の人々は、半々に分かれたのです。一つは、福音に反対するユダヤ人達につく者達。もう一つは福音を受け入れて信じ使徒達の側につく者達です(4節)。
 なんとも、雰囲気が良くない状況にイコニオンの町は包まれた事でしょう。
 イエス様はご自分の働き一面について、平和をもたらす為ではなく、剣をもたらす為だと言われました(マタイ10:34〜36新約P.19)。
 これは、イエス様が平和の君ではないと言う事を言っているのではなく、本物の平和が実現されるための一過性の対立であることは明白です。
「主のしもべは争ってはいけません」(第二テモテ2:24新約P.427
とも聖書は記しています。ただし、信仰に反して世と調子を合わせることは間違いです(ローマ1:1)。
 時に、親しい友人と愛する家族と信仰の故に対立するような状況になる事もあるでしょう。その時、私たちは、信仰の旗印は掲げつつ、その友のために、愛する家族のために、祈ってあげなければいけないのではないでしょうか。

10.祈祷・・一  同
11.献金384 主よ御手もて (献身)・・・・一同
12.感謝祈祷 ・・指  名
13.頌栄63 父 御子 御霊の(過去の礼拝録音です) 一同起立
14.祝祷・・・・・・寺東真也師
15.報告・・・・・・司会者

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第40主日礼拝式順序 2023年10月1日 午前10:30〜

1.黙祷・・・一 同
2.賛美199 主を仰ぎ見れば(臨在) ・・一同起立
3.使徒信条・・一  同
4.主の祈り・・一  同
5.祈祷・・・・一同着席
6.賛美148 夕べ雲焼くる (再臨)・・一  同
7.三大祷告
 再   臨
 イスラエル
 日   本
8.聖書・・・・司 会 者
9.特別賛美・・聖 歌 隊
10.メッセージ・・・寺東真也師
 主題 「異邦人の光」
  聖句 使徒13:43〜52新約P.262

講壇 「異邦人の光」
  聖句 使徒13:43〜52

『わたしはあなたを異邦人の光とし、地の果てにまで救いをもたらす者とする。』(使徒13:47)

 ピシディアのアンティオキアでの宣教は順風満帆のように見えました(42節)。
 しかし、急転直下、次の安息日から風向きが大きく変わってしまったのです。

○「めぐみ」と「ねたみ」

 パウロとバルナバは最初の安息日に多くのユダヤ人や改修者たちが会堂から出た後も、求めてついて来るのを見たので、二人はこの人々と語り合い神の「めぐみ」にとどまるように熱く語りました(43節)。しかし、翌週の安息日に、ユダヤ人や改修者だけでなく、アンティオキアの町のほとんどの人々が会堂に詰めかけ、パウロたちの語ることを聞くために集まってきたのを、ユダヤ人たちは見ました。すると、先週までは、パウロたちに好意を持っていたユダヤ人たちの心に「ねたみ」が沸き起こり、態度は180度変わってパウロ達に反対し、口汚くののしるようになりました(44〜45節)。
 ユダヤ人達は二つの選択肢がありました。それは、神の「めぐみ」にとどまるか、自分自身の「ねたみ」にとどまるかです。パウロ先生達は、同胞を愛していましたから(ローマ9:3、10:1新約P.311)、神のめぐみにとどまるように説得したのです(43節)。しかし、ユダヤ人達は、自ら、ねたみにとどまる事を選択し、預言の成就に至ったのです(41節)。

○福音提示の順序

 今、日本において私たちは福音を聞き、信仰を持ち、神のものとされ、新しい命に生きるものとされています。しかし、この福音が語られなければならない順序があったのも確かです。それは、本来、すべて、イスラエル人のものであるからです(ローマ9:4〜5)。イエス様自身も語られ(マタイ15:24新約P.31)、12弟子たちを遣わされる時にも失われたイスラエル人たちのもとに遣わされました(マタイ10:5〜6)。
 では、異邦人は見捨てられ、滅ぶべき存在だと神様は見ておられるのでしょうか。絶対にそうではありません。「まず」イスラエルに福音は提示されなければならなかったのです。そして、それに次いで、異邦人にもこの救いは大いに語られる事を神様はご計画されておられたのです(47節、イザヤ49:6旧約P.1251)。
 教会のリーダーであるペテロも主の幻とカイサリアのコルネリウス達の救いを通して、異邦人にも救いの道が開かれている事を確信していました(使徒10:34〜36新約P.255)。
 表面的に残念なのは、最初に福音が提示されたイスラエルの人々は、多くがその福音を拒否し、頑なになったことです。今回もユダヤ人達はそうなったのです。

○異邦人の光が輝く

 一方、異邦人達はこの福音が自分たちのためでもあった事を聞き、歓喜に沸き、救われる人々が続出したのです。そして、今もこの異邦人の光は全世界で光輝いています。異邦人の時が満ちるまで(ローマ11:25〜27)。最終的には、イスラエルもみな救われる時が来る事を聖書は預言しています。人間は、自分の力では、ねたみにとらわれて神様の恵みを見失ってしまう者なのです。しかし、神の恵みとご計画は、すべてのものを頑なにし、すべてのものを愛によって砕くことにより、神の恵みにとどまる事ができるようにしてくださったのです(ローマ11:32〜36)。

○喜びと精霊に満ちて

 パウロとバルナバはアンティオキアを追い出されてしまいました。しかし、喜びと聖霊に満ちていました。それは、神様の計画を知り、信頼していたからなのです。

11.祈祷・・一  同
12.聖餐式49 しみも咎も(聖餐)・・・・寺東真也師
13.献金392 主の愛の汝が内に(献身)・・・・一同
14.感謝祈祷 ・・指  名
15.頌栄63 父 御子 御霊の(過去の礼拝録音です) 一同起立
16.祝祷・・・・・・寺東真也師
17.報告・・・・・・司会者

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第39主日礼拝式順序 2023年9月24日 午前10:30〜

1.黙祷・・・一 同
2.賛美202 一度 死にしわれをも(臨在) ・・一同起立
3.使徒信条・・一  同
4.主の祈り・・一  同
5.祈祷・・・・一同着席
6.賛美151 永久の安き来りて (再臨)・・一  同
7.三大祷告
 再   臨
 イスラエル
 日   本
8.聖書・・・・司 会 者
9.メッセージ・・・寺東真也師
 主題 「福音を語る」
  聖句 使徒13:13〜42新約P.260

講壇 「福音を語る」
  聖句 使徒13:13〜42

「ですから、兄弟たち、あなたがたに知っていただきたい。このイエスを通して罪の赦しが宣べ伝えられているのです。また、モーセの律法を通しては義と認められることができなかったすべてのことについて、この方によって、信じる者はみな義と認められるのです。」使徒13章38〜39

 

○不測の事態にも負けず

 キプロス島における宣教を終え、プロ一行は船で北に向かい、パンフィリアのペルゲに着きました。しかし、そこで、助手として同行していたマルコと呼ばれるヨハネが離脱しエルサレムに帰ってしまったのです。この時は、大きな問題にはなりませんでしたが、後の第二回宣教旅行に出かける際に、パウロとバルナバが袂を分たなければならないほどの問題に発展した事(使徒15:38)を考えると、この時も痛みを覚えた事でしょう。それだけではなく、彼らは、シリアのアンティオキアとアジアのエペソを結ぶ主要な街であるピシディアのアンティオキアに向かったのです。この北上する道は、タウロス山脈を越えていかなければならない道でした。そこは山賊も出る道です。後に、コリントの教会へ宛てた手紙の中で、盗賊の難(第二コリント11:26〜27新約P.370)を含め苦難の経験を語っていますが、もしかするとこの時も、命懸けであった事が推察されます。しかし、聖霊に導かれて、150キロもの道のりを越えて行ったのです(14節)。

○パウロの説教

 ピシディアのアンティオキアに到着したパウロたちは安息日にユダヤ教の会堂に入りました。旧約聖書の朗読があった後、その時の説教者としてパウロが選ばれたのです。パウロは大胆にキリストの復活の証人として語りました。
 パウロは説教において、大まかに三つのポイントで語っています。

1.イスラエルの歴史(16〜25節)

 まず、語ったのはイスラエルの歴史の中に働かれる神ご自身の御業についてです。順を追いますと、エジプト滞在から出エジプト、40年の荒野での生活から、カナンの地奪還、士師の時代を経て、王政の確立、初代サウル王からダビデ王へ、ダビデへの約束の故に、ダビデの子孫として救い主イエスが世に来られたのだと。そして、バプテスマのヨハネはイエス様こそその成就である事を証言したのだと結びます。

2.十字架と復活(26〜37節)

 二つ目のポイントは、福音の中心である、十字架と復活について語りました。イエス様は、イスラエルの人々、及び指導者たちに、罪人に仕立て上げられ、ピラトを利用して十字架につけられ、その遺体は墓に納められたのです。しかし、父なる神様は、イエス様を死者の中からよみがえらせました。そして、弟子たちの前に現れ、復活の主を見た者たちがその証人となったと言うのです。預言の成就として詩篇2:7旧約P.934、イザヤ55:3旧約P.1261、詩篇16:10、を引用し、ダビデは死んで朽ちてしまったけれども、イエス様は朽ちる事なく、死からよみがえられたと言う事を解いたのです。

3.信じるものは救われる(38〜41節)

 そして、最後に、大切なチャレンジをパウロは語ります。モーセの律法で成し遂げられなかった罪の赦しと義と認められる事が、このイエス様を信じる者たちに実現するのです(38〜39節)。しかし、多くのユダヤ人にとってイエス様の福音はつまづきとなり、信じがたい事となるが預言されているので、そうならないようにと言うのです。彼らは感動し、次の安息日でも同じ説教をして欲しいと頼むのでした。

10.祈祷・・一  同
11.献金434 語り告げばや(宣教)・・・・一同
12.感謝祈祷 ・・指  名
13.頌栄63 父 御子 御霊の(過去の礼拝録音です) 一同起立
14.祝祷・・・・・・寺東真也師
15.報告・・・・・・司会者

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第38敬老感謝礼拝式順序 2023年9月17日 午前10:30〜

1.黙祷・・・一 同
2.賛美20 主の真実はくしきかな(賛美) ・・一同起立
3.使徒信条・・一  同
4.主の祈り・・一  同
5.祈祷・・・・一同着席
6.賛美149 いつ主は来り給うや (再臨)・・一  同
7.三大祷告
 再   臨
 イスラエル
 日   本
8.聖書・・・・司 会 者
9.特別賛美・・聖 歌 隊
10.メッセージ・・・寺東真也師
 主題 「背負ってくださる神」
  聖句 イザヤ46:1〜13旧約P.1245

講壇 「背負ってくださる神」
  聖句 イザヤ46:1〜13

『ヤコブの家よ、わたしに聞け。イスラエルの家のすべての残りの者よ。胎内にいたときから担がれ、生まれる前から運ばれた者よ。あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたが白髪になっても、わたしは背負う。
わたしはそうしてきたのだ。わたしは運ぶ。背負って救い出す。』(イザヤ46:3〜4)

 明日は敬老の日です。教会では一足先に高齢の愛兄姉の為に祈り、祝福する時を持ちます。聖書は「あなたは白髪の老人の前では起立し、老人を敬い、またあなたの神を恐れなければならない。わたしは主である。」(レビ19:32旧約P.213)と命じています。お年を召された方を尊敬し、敬うことは、主を畏れる事の一部なのです。

○偶像に依り頼む民
1.かたくなな民

 しかし、年を重ねれば重ねる程、その良い面と同時に、悪い面も出てきやすくなるのが人間です。経験豊かなその知識と知恵は尊敬に値します。しかし、その経験と知恵が、傲慢に陥る時、かたくなさが芽を出します。それは、全ての信仰者に言える事です。イエス様は、神のことばよりも、宗教として成長してきたユダヤ教の指導者の頑なさを嘆かれました。たしかに、長年培われた伝統はとても大切なものです。しかし、その言い伝えや教えのほうが、神のことばや御心よりもいつの間にか上になっていたが故に、神の子であるイエス様とそのしるしを受け入れる事が出来なかったのです。

2.あなたの偶像は何ですか?

 イザヤは南ユダ王国に遣わされた預言者でした。そして、ウジヤ、ヨタム、アハズ、ヒゼキヤと4人の王の時代にみことばに仕えたのです。アハズ以外は神を中心に政治をした良き王でした。しかし、慢性的に異国の偶像礼拝は水面下で働いているような時代です。ウジヤは高ぶり祭司の仕事を横取りしようとしてツァラアトにかかり失脚(第二歴代誌26:16旧約P.794)、ヨタムは神に忠実に仕えたが、民は偶像礼拝を行い続け(第二歴代誌27:2)、アハズは異国に憧れ、積極的に偶像礼拝を国内に持ち込み、アッシリヤ従属し、平和を保とうとしました(第二歴代誌28:16〜23)。ヒゼキヤは父アハズとは違って宗教改革を行いましたが、アッシリヤの脅威から、エジプトに媚を売ってしまいます(第二列王記18:19〜21旧約P.686)。再度、信仰に立ち返って主にある勝利を与えられますが、不死の病を癒された時、神様に委ねられた国よりも自分の時代の安泰にあぐらをかいてしまいます(第二列王記20:16〜19)。
アハズのような誰が見ても偶像礼拝というものもあれば、信仰によらない決断や作戦、更には私たちの内側にあるかたくなさくる自信かもしれません。

3.背負われる神と背負って下さる神

 イザヤは当時の偶像の筆頭である、ベル(バビロンの主神)とネボ(ベルの子)を引き合いに出してそれらは、自分で立つ事も、歩くことも出来ず、ただの荷物になる事を預言します。それと対照的に、本当の神は、人を生まれた時より、白髪になってもなお背負い続けてくださるお方である事を語ります。

◯背負ってくださる神の導き

 イザヤは今後、イスラエルの不信仰によりバビロンに捕囚とる事を預言し、その先のペルシャによる統治と解放を預言しています。祖国に帰って来ることは好ましいことです。しかし、本当の自由を手にしたわけではありません。なぜ、神様はこのような試練をイスラエルに与えられるのでしょうか。それは信仰によるところの本当の勝利と祝福が神の栄光の為に現わされる為です。

11.祈祷・・一  同
12.献金427 ただ主を(証し)・・・・一同
13.感謝祈祷 ・・指  名
14.頌栄63 父 御子 御霊の(過去の礼拝録音です) 一同起立
15.祝祷・・・・・・寺東真也師
16.長寿祝福式・・・寺東真也師
17.報告・・・・・・司会者

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第37主日礼拝式順序 2023年9月10日 午前10:30〜

1.黙祷・・・一 同
2.賛美266 罪 咎を赦され(救いの喜び) ・・一同起立
3.使徒信条・・一  同
4.主の祈り・・一  同
5.祈祷・・・・一同着席
6.賛美337 愛する主よ わが君よ (恵みの成長)・・一  同
7.三大祷告
 再   臨
 イスラエル
 日   本
8.聖書・・・・司 会 者
9.メッセージ・・・寺東真也師
 主題 「霊の戦いの勝利」
  聖句 使徒13:4〜12新約P.259
     エペソ6:10〜19新約P.392

講壇 「霊の戦いの勝利」
  聖句 使徒13:4〜12
     エペソ6:10〜19

「終わりに言います。主にあって、その大能の力によって強められなさい。」エペソ6章10節

 バルナバとサウロ(パウロ)は聖霊によって送り出され、最初に海を渡り、キプロス島にやってきました。彼らに助手としてバルナバのいとこにあたるマルコが同行していました。

○バルイエス(魔術師エリマ)

 彼らがキプロス島全体を巡回し、パポスまで来た時のことです。彼らはバルイエスと言う名のユダヤ人に出会いました。バルイエスという名前の意味はイエスの子とか救いの子という意味を持っています。イエス様と同じイエスですが、ヘブル語的にはヨシュアのギリシャ語読みがイエスなので、イエスという名前は珍しいものではありませんでした。しかし、そうだとしても、とても皮肉めいたものを感じざるを得ません。なぜならば、彼の通り名としてエリマ(魔術師)と呼ばれ、聖書は『偽預言者』であったと記しているからです。ユダヤ人でありながら、魔術に通じ(律法は魔術を禁じています)、それと同時に、神の言葉を聞いたと言って預言的なことをしていたのです。しかも、彼はその地域の総督官邸にいたと言うことなので、その立場は認められていたのでしょう。

○地方総督セルギウス・パウルス

 バルナバとパウロはもう一人の人物に出会いました。それは、地方総督セルギウス・パウルスです。かれは「賢明な人」であると記されています。しかも、霊的に柔らかい心を持っていて、バルナバとパウロが語る「神のことば」を聞きたいと願っていた人だったのです(7節)。

◯霊の妨げ

 総督の求道心を知ったエリマことバルイエスは二人に反対して、信仰から遠ざけようと画策したのです。使徒の働きでは、聖霊が働かれ、多くの人が福音を聞き救われています。しかし、働いているのは聖霊だけではありません。悪霊も同じように働いて、人々に福音が伝わらないように、いのちを得る事がないように必死になって働いているのです。パウロはバルイエスをこう表現しています。

「ああ、あらゆる偽りとあらゆる悪事に満ちた者、悪魔の子、すべての正義の敵、おまえは、主のまっすぐな道を曲げることをやめないのか。」(10節)

 悪魔は「偽りの父」(ヨハネ8:44新約P.198)です。そして、その霊に支配され用いられたバルイエスは救いの子から悪魔の子と堕ちてしまっていたのです。

◯聖霊の勝利

 バルナバとパウロは救いの道を捻じ曲げ、福音から遠ざけようとするバルイエスに対して、しばらくの間、盲目となり日の光を見る事ができなくなると宣言しました。すると、バルイエスの目はかすみと闇が覆い手を引いてくれる人を探し回らなくてはならなくなりました(11節)。
 総督はこの出来事を見て、「主の教え」に驚嘆し、信仰に入りました。神のことばが証される為に、奇跡は起こりました。しかし、人が救われるのは、奇跡を見たからではありません。奇跡に裏付けられた神の教えであり神のことばによるのです。

◯祈りの備え

 勝利の秘訣は祈りにあります。遣わされた者も遣わした者たちも、祈り、福音宣教が実を結び、罪に沈む囚われ人を解放するために、御霊によって祈るのです(エペソ6:18〜19)。その時、神の業は前進するのです。

10.祈祷・・一  同
11.献金458 光の高地に(霊の戦い)・・・・一同
12.感謝祈祷 ・・指  名
13.頌栄63 父 御子 御霊の(過去の礼拝録音です) 一同起立
14.祝祷・・・・・・寺東真也師
15.報告・・・・・・司会者

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第36主日礼拝式順序 2023年9月3日 午前10:30〜

1.黙祷・・・一 同
2.賛美185 来れ誰も(神の招き) ・・一同起立
3.使徒信条・・一  同
4.主の祈り・・一  同
5.祈祷・・・・一同着席
6.賛美329 御国への道 歩むとき (信頼)・・一  同
7.三大祷告
 再   臨
 イスラエル
 日   本
8.聖書・・・・司 会 者
9.特別賛美・・・聖 歌 隊
10.メッセージ・・・寺東真也師
 主題 「教会の働き」
  聖句 使徒13:1〜5新約P.259

講壇 「教会の働き」
  聖句 使徒13:1〜5

『彼らが主を礼拝し、断食していると、聖霊が
「さあ、わたしのためにバルナバとサウロを聖別して、わたしが召した働きに就かせなさい」と言われた。』(使徒13:2)

 使徒13章からアンティオキア教会から遣わされるパウロに主にスポットライトが当てられ、世界宣教への更なる広がりが書き記されています。パウロに注目が行きがちですが、パウロの働きは、アンティオキア教会があっての働きなのです。

○アンティオキア教会

 アンティオキア教会は設立後間もない若い教会です。ステパノの殉教を発端とする迫害の中で散らされた人々がたどり着いた先の一つがアンティオキアでした(使徒11:19)。散らされた人々は原則、ユダヤ人のみに福音を語っていましたが、キプロス人とクレネ人が何人かいて、ギリシャ語を話す人々にも福音を述べ伝えたところ、大勢の人が救われ、アンティオキア教会が誕生しました。この事を知ったエルサレム教会は、バルナバを派遣しました。そして、バルナバはサウロをタルソから連れてきて、生徒たちを教え、訓練したのでした。アンティオキアで初めて「キリスト者(クリスチャン)」と呼ばれるようになるほどでした。

○預言者や教師達

 アンティオキアには実にユニークな預言者や教師がいました。そこから、アンティオキア教会がいかにユニークで多様性に富んでいるかを推察できます。

1. バルナバ

 バルナバはキプロス生まれのレビ人で本名をヨセフと言います。自分の畑を売ってその代金を教会のために献げた敬虔な信仰の持ち主です(使徒4:36〜37)。パウロが回心した際も、エルサレム教会の人々は信じる事が出来ない中、使徒達との仲介役になったのもバルナバでした(使徒9:26〜27)。アンテオケ教会が誕生した際も、教会の中核となって励ました人物です(使徒11:23)。

2. ニゲルと呼ばれるシメオンとクレネ人ルキオ

 ニゲルとはニグロと同じ意味を持っていて肌の色が黒い人を意味します。すなわちシメオンは、アフリカ系の黒人であったのでしょう。また、クレネ人ルキオも、クレネ出身で、クレネは北アフリカの町でした。使徒でないピリポがガザに下る道で出会ったエチオピアの宦官も救われましたが、福音はエジプトを超えて、アフリカにまで広がりを見せつつあったと言えます。

3. ヘロデの乳姉妹マナエン

 この国主ヘロデとは、ヘロデ大王の息子ヘロデ・アンティパス(バプテスマのヨハネを処刑した)と同じ宮殿で一緒に教育を受けて育った人物です。生まれも育ちも高貴な身分であったのでしょう。

4. サウロ

 サウロはタルソ出身でリベルテンに属し、生粋のユダヤ人。超一流のラビであるガマリエルの門下生でエリート。生まれながらにしてローマの市民権を持つ類稀な経歴の持ち主です。しかし、その驕りからキリスト者を迫害していましたが、ダマスコへの途上でイエス様に出会い、改心して、今に至ります。

 教会は様々な人がいます。そして、神様が教会に求めておられるのは、多様性における一致です。意見や考え方は様々でしょう。しかし、それを超えて一つになれるのが教会です(ヨハネ17:21〜23新約P.221)。
 さらに、聖霊は、バルナバとサウロを聖別して、世界宣教の任務に就かせ、教会は彼らを遣わしたのです。遣わされる者、遣わす者、出で行く者、留まる者、祈られる者、祈る者、それぞれの働きは違いますが、御霊の導きによって、一つの働きを全うするのです。

11.祈祷・・一  同
12.聖餐式49 しみも咎も(聖餐)・・・・寺東真也師
13.献金423 村の小さな教会(証し)・・・・一同
14.感謝祈祷 ・・指  名
15.頌栄63 父 御子 御霊の(過去の礼拝録音です) 一同起立
16.祝祷・・・・・・寺東真也師
17.報告・・・・・・司会者

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第35主日礼拝式順序 2023年8月27日 午前10:30〜

1.黙祷・・・一 同
2.賛美238 尊き泉あり(救い) ・・一同起立
3.使徒信条・・一  同
4.主の祈り・・一  同
5.祈祷・・・・一同着席
6.賛美466 来たり給う主を (再臨)・・一  同
7.三大祷告
 再   臨
 イスラエル
 日   本
8.聖書・・・・司 会 者
9.メッセージ・・・寺東真也師
 主題 「信仰による義」
  聖句 創世記15:1〜6旧約P.21

講壇 「信仰による義」
  聖句 創世記15:1〜6

「アブラムは主を信じた。それで、それが彼の義と認められた。」創世記15章6節

○恐れるアブラム

 14章では勇敢で潔い勇士アブラムの姿が記されています。しかし、その後、神様は意外な言葉をアブラムにかけられています。それは「恐れるな」という言葉です。14章でこれほど勇敢な姿はないというほどの行動をとったアブラムですが、これらの出来事の後、アブラムは恐れている事があったというのです。なぜ恐れていたかは聖書には書かれてありません。しかし、神様の祝福と守りの言葉の後に続くアブラムの発言が鍵となると思います。

「神、主よ、あなたは私に何を下さるのですか。私は子がないままで死のうとしています。私の家の相続人は、ダマスコのエリエゼルなのでしょうか。」
「ご覧ください。あなたが子孫を私に下さらなかったので、私の家のしもべが私の跡取りになるでしょう。」(創世記15:2、3)

 アブラムは神様から祝福の言葉を何回も頂いていましたが、それが実現する為には自分の子供がどうしても必要でした。跡取りが、この時まだ与えられていなかったからです。アブラムが最も恐れたのは、主の約束が実現しなくて主の御名が辱められることだったのでしょう。

○さあ、天を見上げなさい

 恐れるアブラムを神様は天幕の中から外に連れ出して、こう言われました。

「さあ、天を見上げなさい。星を数えられるなら数えなさい。」
「あなたの子孫は、このようになる。」」(創世記15:5)

 視覚教材として神様は御自分の創造された傑作の一つである大空に光る星々を使われました。この星の数のようにあなたの子孫は増え広がるのだと。

○信じたアブラム

 アブラムは神様から、もう一度その計画と約束を聞きました。その時、アブラムはとやかく言わないで、その言葉を信じたのです。
 この「信じた」という言葉は私達もよく用いている「アーメン」という言葉と同じ語源の動詞が使われているのです。だから、アブラムは神様が御自分の御計画を明かされた事に対して「アーメン」と宣言したとも訳せるのです。「アーメン」とは「真実」という意味です。アブラムは神様の御計画はいまだ目に見えるところは進んでいなくても、あなたがおっしゃるのであれば、私の子孫は天の星のように増え広がると信じ、それは真実であるとしたのです。
 しかも、他人事のように、現実から逃避したり、責任を回避したのでもなく、当事者として神様の計画は真実であると「アーメン」と告白したのです。

○義と認められたアブラム

 アブラムは神様を信じる信仰によって義と認められました。何かを成し遂げたからでも、他の人々より優れていたからでもありません。神様を信じる信仰によって正しいとされたのです。これは私たちにも言えることです。
 イエス・キリストを信じる信仰によって私たちは今、現在も神様から義と認めていただけるのです。アブラムを通して信仰義認の原則を知る事が出来るのです。(ローマ4:18〜25新約P.303)

 私たちの周りには理解できないような事が起こるでしょう。しかし、そのような時こそアブラムのように主の約束に「アーメン」と答え、信じるのです。その時神様は「恐れるな。わたしはあなたの盾である。」と答えてくださるでしょう。

10.祈祷・・一  同
11.献金275 信仰こそ(信仰)・・・・一同
12.感謝祈祷 ・・指  名
13.頌栄63 父 御子 御霊の(過去の礼拝録音です) 一同起立
14.祝祷・・・・・・寺東真也師
15.報告・・・・・・司会者

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第34主日礼拝式順序 2023年8月20日 午前10:30〜

1.黙祷・・・一 同
2.賛美266 罪 咎を赦され (救いの喜び) ・・一同起立
3.使徒信条・・一  同
4.主の祈り・・一  同
5.祈祷・・・・一同着席
6.賛美462 聖書も時の徴も (再臨)・・一  同
7.三大祷告
 再   臨
 イスラエル
 日   本
8.聖書・・・・司 会 者
9.特別賛美・・・聖 歌 隊
10.メッセージ・・・寺東真也師
 主題 「神に栄光を帰す」
  聖句 使徒12:18〜24新約P.259

講壇 「神に栄光を帰す」
  聖句 使徒12:18〜24

『その後、私は、大群衆の大きな声のようなものが、天でこう言うのを聞いた。
「ハレルヤ。救いと栄光と力は私たちの神のもの。』(黙示録19:1新約P.513

 神様は教会の祈りに応えてくださり、ペテロを牢獄から解放してくださいました。朝になって動揺したのは、牢の番兵達です。当時のしきたりで、番兵の過失で、囚人が逃げてしまった場合、逃げた囚人の受けるべき刑がその番兵に執行されるからです。
 ヘロデはペテロを取り逃した番兵達に怒りを向け、ペテロを処するはずだった死刑に、番兵達を処します。

○神によらない権威はない

「人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられているからです。」(ローマ13:1新約P.318
 聖書はこの世界に存在する権威は神の許しのもとで成り立っている事を示します。しかし、いつの時代にも、権威を与えられた人間は、その権威、力、栄光は自分のもので、それに相応しいから持ち得るものだと勘違いするのです。

○反面教師ヘロデ

 人の命を政治の駒としか考えないヘロデです。彼の傲慢は神様の前に、山と積み上げられました。

1.怒り

 理由は記されていませんが、ヘロデはツロとシドンに対してい怒りを覚えていました。傲慢の種は、人を怒りやすくさせる傾向があります。自分の思い通りにならなければ、不機嫌になり、怒りが込み上げてくるのです。
「人の怒りは神の義を実現しないのです。」(ヤコブ1:20新約P.459
 私達の人生は何で満ちているでしょうか?
 ヘロデのように、自分のことばかりに関心を持ち、不平不満でいっぱいになっていませんか。イエス様に心が向くとき、心が平安で満たされ、喜びと感謝が溢れるのです。

2.栄光の独り占め

 残念な事に、多くの人は権力を持つ人に影響を受けやすく、尻尾を振りやすいものです。当時、ツロとシドンはユダヤに食料供給を依存していました。ですから、ヘロデの怒りをかったままでは、食べる事に直結するので、なんとかして、和解しなければなりませんでした。そこで、ツロトシドンの人々は、ヘロデの侍従であるブラストに取り入って和解を申し出ました。なんとか、和解交渉はうまくいったようですが、さらに、関係を良好とするための行動に出ます。ヘロデの演説があった時(聖書に定められ日とあるが、おそらくローマ皇帝の誕生日を祝う日)、歴史資料には、その時、ヘロデは銀の糸で織られたすばらしい布地で裁った衣装を着けており、陽の光が反射して神々しく輝いていたのだとか。その光景と演説を聞いて、人々はこう叫びました。
「神の声だ。人間の声ではない」
それを聞いたヘロデは、神の前に謙ることをせずに演説を続けました。すると、一匹の虫がヘロデを噛み、それが原因でヘロデは絶命する事になりました。
「ヘロデが神に栄光を帰さなかったからである。」(23節)
 私たちは、ただの人間です。私たちが持ち得るものも、本来は神のものであり、その本質である栄光は主に帰するものなのです。クリスチャンの格言に言い得て妙であるものがあります。
「恥はわがもの。栄えは主のもの」
 神に栄光を帰するものにならせていただきましょう。

11.祈祷・・一  同
12.献金429 地の塵に等しかり(証し)・・・・一同
13.感謝祈祷 ・・指  名
14.頌栄63 父 御子 御霊の(過去の礼拝録音です) 一同起立
15.祝祷・・・・・・寺東真也師
16.報告・・・・・・司会者

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第33主日礼拝式順序 2023年8月13日 午前10:30〜

1.黙祷・・・一 同
2.賛美265 世人の咎のために (救いの喜び) ・・一同起立
3.使徒信条・・一  同
4.主の祈り・・一  同
5.祈祷・・・・一同着席
6.賛美151 永遠の安き来りて (再臨)・・一  同
7.三大祷告
 再   臨
 イスラエル
 日   本
8.聖書・・・・司 会 者
9.メッセージ・・・寺東真也師
 主題 「熱心な祈りの中で」
  聖句 使徒12:1〜17新約P.257

講壇 「熱心な祈りの中で」
  聖句 使徒12:1〜17

『こうしてペテロは牢に閉じ込められていたが、教会は彼のために、熱心な祈りを神にささげていた。』(使徒12:5)

 教会にとって祈りは生命線です。祈りのない教会には命がないと言っても過言ではありません。
 反対に、どんなに窮地に立っていたとしても、信仰もって祈る教会は前進し、神の御心を成し遂げていく事でしょう。

○逆風の中で

 初代教会はユダヤ教徒から大きな迫害を受けていました。しかし、そのような中でもイエス・キリストを信じる者は確実に増えていきました。それは、ユダヤ教の指導者にとっては面白くありません。
 当時、ローマ帝国からパレスチナ一帯を統治するために立てられていたヘロデ・アグリッパ1世は、その地に住むユダヤ人の心を掴む為に、教会を迫害し始めたのです。そして、ヘロデ王によって、使徒で初めての殉教者が出たのです。それは、ヨハネの兄弟、ヤコブでした。
 ユダヤ人達の反応は良く、勢いにのったヘロデはペテロを捕えて牢に入れたのです。

○熱心な祈り

 ヤコブの殉教の悲しみの中で、ペテロにも忍び寄る死の影に教会は熱心に神に祈ったのです。
 ペテロが捕えられたのは、種なしパンの祝いの時期でした。ユダヤ教的にもとても大切な祭りです。その期間に死刑にするのはよろしくないので、ヘロデは過越しの祭りの後に民の前で公開処刑にして、自分の株を上げようとしていました。
 初代教会の聖徒たちは、祈りの重要性を頭で知っていたのでなく、信仰生活の髄に染み込んでいたのでしょう。個人での神様との祈りはもちろん大切です。しかし、共に集って祈る祈りには、大きな力があるのです。祈りの輪の中に主がおられるからです(マタイ18:18〜20新約P.37)。
 世の終わりが近づいている時こそ、祈りのチームプレーを主は期待しておられるのです(へブル10:25新約P.450)。

○ペテロの勝利

 ペテロは牢に入れられて、昼夜を問わず、監視されました。4人一組が4組、一人に対して16名がかりの厳重な警備です。しかも、夜も番兵と番兵の間に鎖につながれて眠るほどです。過越祭が過ぎるまでは死刑にならないチャンスを狙って仲間が助けに来ても手を出せないように、警備をこれでもかと厳重にしていたのでしょう。
 しかし、神様が働かれる時は、人間がどう抗っても意味がありません。ペテロは御使いの案内によって、鎖が解かれ、二つの衛所を通り、町に通じる鉄の門まで開かれて自由とされたのです。
 でも、ペテロの信仰の勝利はド派手な脱出劇ではなく、間もなく死刑になるその中にあっても脇腹を叩かれるまでぐっすり、寝ていた事にあるのです。以前は保身の為にイエス様を三度も否定したペテロ、しかし、今や、嵐の中で一人ぐっすり眠っておられたイエス様の信仰をペテロも持っていたのです(ペテロ4:12〜19)。

○圧倒的な答え

 教会は祈りの答えが予想以上だったために、初めは分かりませんでした。私たちの主は、祈りに応えてくださる生ける主です。

10.祈祷・・一  同
11.献金196 祈れ物事(祈り)・・・・一同
12.感謝祈祷 ・・指  名
13.頌栄63 父 御子 御霊の(過去の礼拝録音です) 一同起立
14.祝祷・・・・・・寺東真也師
15.報告・・・・・・司会者

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第32主日礼拝式順序 2023年8月6日 午前10:30〜

1.黙祷・・・一 同
2.賛美264 われ贖われて (救いの喜び) ・・一同起立
3.使徒信条・・一  同
4.主の祈り・・一  同
5.祈祷・・・・一同着席
6.賛美367 イエスよ この身を (きよめ)・・一  同
7.三大祷告
 再   臨
 イスラエル
 日   本
8.聖書・・・・司 会 者
9.特別賛美・・聖 歌 隊
10.メッセージ・・・寺東真也師
 主題 「すべての人の主」
  聖句 使徒10:34〜36新約P.255

講壇 「すべての人の主」
  聖句 使徒10:34〜36

『神は、イスラエルの子らにみことばを送り、イエス・キリストによって平和の福音を宣べ伝えられました。このイエス・キリストはすべての人の主です。」(使徒10:36)

○神様の計画

 神様の救いは完璧であり完全です。そのご計画は、全地に渡り、すべての人に及ぶのです。しかし、順序があります。本来、すべては、イスラエルのものでした。異邦人の使徒パウロも次のように述べています。
「彼らはイスラエル人です。子とされることも、栄光も、契約も、律法の授与も、礼拝も、約束も彼らのものです。父祖たちも彼らのものです。キリストも、肉によれば彼らから出ました。キリストは万物の上にあり、とこしえにほむべき神です。アーメン。」(ローマ9:4〜5新約P.311

 神様はイスラエルを長子とし、彼らの頑なさを用いて、その救いと祝福がすべての人に及ぶように計画されたのです(ローマ11:11、12、30〜32)。

○異邦人へ

 イスラエル人にとって異邦人は、神に対して穢れた人々であって、付き合ってもいけないし、関わってもいけないと教えられてきました。確かに、歴史を振り返るときに、純粋な信仰を守ろうとする時、律法が定める掟には一理あります。しかし、神様の計画は人間の想像を遥かに超えた素晴らしい愛と神様主導の恵みによって展開されていくのです。
 カイサリアという町にコルネリウスという100人隊長がいました。彼は異邦人でしたが、真の神様を信じ、毎日、祈り、貧しい人に施しをしていた信仰熱心な人でした。神様は、彼のもとにペテロを遣わすように導きます。

○ペテロの見た幻

 ペエロは祈りの中である幻を見ました。敷布が四隅を吊るされて天から降りてくるのです。その敷布が開くとあらゆる四つ足の動物、地を這うもの、空の鳥が入っていました。そして、天からこう声がありました。
「ペテロよ、立ち上がり、屠って食べなさい」(13節)
しかし、その中には、律法的には食べてはならない生き物もいたのです。ですから、ペテロは咄嗟に拒否します。するとさらに天からこう声がありました。
「「神がきよめた物を、あなたがきよくないと言ってはならない。」(15節)
同じ事が三度あった後に、すぐ、コルネリウスから使わされた人が到着して、ペテロにコルネリウスの元に来て欲しいと懇願するのでした。

○異邦人の救い

 ペテロは御霊に指示を受け、コルネリウスのいるカイサリアに向かいました(19〜23節)。
 カイサリアに着くとコルネリウスは丁重にペテロを迎え、御使が語られたことの次第と、ペテロの語ろうとする事に耳を傾ける準備ができている次第を伝えました。
 ペテロは神様のご計画を悟り、異邦人にもえこひいきする事なく福音を伝えられなければならない事を確信し、福音を余す事なく語りました。すると、聞いていた異邦人達はみな聖霊に満たされ、洗礼を受けたのです。

○すべての人の主

 この出来事から、本格的に異邦人伝道の道が大きく開いていく事になりました。今は、恵の時、救いの日です(第二コリント6:2新約P.362)。異邦人が満ちたその先には、イスラエルの救いが(ローマ11:25〜27)、そして、神の国の完成が控えているのです。イエス様はすべての人の主です。

11.祈祷・・一  同
12.聖餐式49 しみも咎も(聖餐)・・・・寺東真也師
13.献金436 未だ見ぬ地(宣教)・・・・一同
14.感謝祈祷 ・・指  名
15.頌栄63 父 御子 御霊の(過去の礼拝録音です) 一同起立
16.祝祷・・・・・・寺東真也師
17.報告・・・・・・司会者

x

第31主日礼拝式順序 2023年7月30日 午前10:30〜

1.黙祷・・・一 同
2.賛美315 主の御手に頼る日は (信頼) ・・一同起立
3.使徒信条・・一  同
4.主の祈り・・一  同
5.祈祷・・・・一同着席
6.賛美466 来り給う主を (再臨)・・一  同
7.三大祷告
 再   臨
 イスラエル
 日   本
8.聖書・・・・司 会 者
9.メッセージ・・・寺東真也師
 主題 「癒し、立たせ、救われるお方」
  聖句 使徒9:32〜43新約P.252

講壇 「癒し、立たせ、救われるお方」
  聖句 使徒9:32〜43

『平和の神ご自身が、あなたがたを完全に聖なるものとしてくださいますように。あなたがたの霊、たましい、からだのすべてが、私たちの主イエス・キリストの来臨のときに、責められるところのないものとして保たれていますように。』(第一テサロニケ5:23新約P.413

 初代教会の宣教の記録を見る時に、素晴らしいしるしが伴っていることに気付きます。マルコも福音書の最後に次のように書き記しています。
「弟子たちは出て行って、いたるところで福音を宣べ伝えた。主は彼らとともに働き、みことばを、それに伴うしるしをもって、確かなものとされた。」(マルコ16:20新約P.105

○癒されるお方

 ペテロは福宣教のために「あらゆるところ」を巡回していました。そして、リダに行った際に、アイネアという8年間も中風を患い、寝たきりになっている人物に出会いました。そこでペテロは
「アイネア、イエス・キリストがあなたを癒やしてくださいます。立ち上がりなさい。そして自分で床を整えなさい。」(34節)
と語りかけたところ、アイネアはただちに立ち上がったのです。
 この出来事は、イエス様の奇跡を彷彿とさせます。四人の人に担がれてイエス様のもとに来た中風の人に対してイエス様は最後に
「あなたに言う。起きなさい。寝床を担いで、家に帰りなさい。」(マルコ2:11)と仰られ、その中風の人は癒やされたのです。
 大切なのは、『イエス・キリスト』が癒されるという事です。主は癒し主です(イザヤ53:5旧約P.1259)。

○立たせてくださるお方

 リダから西に行った地中海に面するヤッファという町に、タビタ(ギリシャ名はドルカス)というクリスチャン女性がいました。彼女は貧しいやもめ達に、賜物を活かして、下着や上着を作り、施しをしていました。なので、とても信頼されていた女性でした。
 その彼女が、病気になってしまい、死んでしまったのです。ペテロが近くのリダまで来ている事を聞いた弟子達は、タリタのために、ペテロを連れてきました。
 ペテロはタビタの遺体が安置された部屋に入り、皆を出し、一人になって主に祈ったのです。そして、言いました。
「タビタ、起きなさい」(40節)
すると、タビタは起き上がったのです。
 これも、イエス様の奇跡に酷似しています。会堂司のヤイロの娘が、死にかかった際、向かう途中で、娘は死んでしまったのですが、イエス様は、死んだ娘の所へ行って、両親とペテロとヤコブとヨハネのみを側に置き、言われました。
「タリタ、クム。」(41節)
これはアラム語で「少女よ、起きなさい」という意味です。ヤイロの娘は生き返ったのです。
 イエス様は死人さえも死から立たせてくださるお方です。

○救われるお方

 主は癒し主であり、死んだ体に命を吹き込み立ち上がらせる事もできるお方ですが、それは、私たちを罪から救い出すことができる、罪を赦す権威をお持ちである事を信じる事ができるようになるためであります(マルコ2:9?10)。
 リダにおいては、アイネアが癒された事により、リダの人々が救いへと導かれ(35節)、ヤッファでは、死から立ち上がったタビタを見て、主を信じるようになったのです(41?42節)。
 私たちが信じているイエス・キリストは私たちの霊、たましい、体の全て癒し、立たせ、救ってくださるお方なのです(第一テサロニケ5:23)。

10.祈祷・・一  同
寺東真也師
11.献金453 ガリラヤ湖の岸にて(いやし)・・・・一同
12.感謝祈祷 ・・指  名
13.頌栄63 父 御子 御霊の(過去の礼拝録音です) 一同起立
14.祝祷・・・・・・寺東真也師
15.報告・・・・・・司会者

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第30主日礼拝式順序 2023年7月23日 午前10:30〜

1.黙祷・・・一 同
2.賛美215 神は汚れたる世人のため (神の愛) ・・一同起立
3.使徒信条・・一  同
4.主の祈り・・一  同
5.祈祷・・・・一同着席
6.賛美151 永遠の安き来りて (再臨)・・一  同
7.三大祷告
 再   臨
 イスラエル
 日   本
8.聖書・・・・司 会 者
9.メッセージ・・・寺東真也師
 主題 「力強い選びと新生」
聖句 使徒9:10〜22新約P.250
   第二コリント5:17新約P.361

講壇 「力強い選びと新生」
  聖句 使徒9:10〜22
     第二コリント5:17

『しかし、主はアナニアに言われた。「行きなさい。あの人はわたしの名を、異邦人、王たち、イスラエルの子らの前に運ぶ、わたしの選びの器です。彼がわたしの名のためにどんなに苦しまなければならないかを、わたしは彼に示します。」』(使徒9:15〜16)

 サウロはステパノを迫害し、石打にして殺す事に賛成していました。直接手をくだすことはしていませんでしたが、実行犯の上着の番をしていたのです(使徒7:58、8:1)。
 迫害が激化する中、サウロは大祭司のお墨付きを得て、ダマスコの諸会堂宛ての手紙を求めました。それは、ダマスコに於いて、クリスチャンを捕縛し、エルサレムに連行する為でした。
 サウロは、立場と知識と知恵、そして、力を持っていたのです。そして、神様の為に、それらを最大限に生かして、サウロの迫害の矛先はクリスチャンに向けられていたのでした。

○キリストとの出会い

 神様の選びは不思議です。分からなかったとはいえ、ここまでの迫害者サウロの前にイエス様ご自身がご臨在くださったのです。しかも、サウロを断罪する為ではなかったのです。イエス様は、ご自身を現す事によって、サウロの独りよがりの行動に気付かせたのです(5〜6節)。サウロはぐうの音も出せず、イエス様の指示に従いダマスコの町に入って飲まず食わずで三日を過ごしたのでした(9節)。

○アナニアの葛藤

 サウロを取り扱い、癒す為に、アナニアが選ばれ、主ご自身が幻の中で語られ、サウロのもとへ行くように導かれました。
 しかし、サウロは迫害者としてとても有名でした。なぜ、敵である者のところに行って、彼の為に祈らなければならないのか理解できなかったのです(13〜14節)。神様のご計画や御心は時に私たちの理解をはるかに超えている為に、受け入れがたい事があります(イザヤ55:8〜9旧約P.1262)。

○力強い選び

 そこで、神様はアナニアに主の御心と計画を包み隠さず、語られたのです。それは、迫害者サウロを、イエス・キリストの名を異邦人に伝える選びの器として召しているというのです(15節)。
 アナニアはそれ以上、食い下がる事をせず、理解しがたい事ではありましたが、主のみ告げに従い、サウロのところに行き、彼の為に祈ったのです。
「神の賜物と召命は、取り消されることがないからです。」(ローマ11:29新約P.317

○新しく生まれたものとして

 アナニアの祈りが献げられると、すぐさま、サウロの目から鱗のようなものが落ちて、目が見えるようになり、彼の心の目も開かれてイエス・キリストを信じ、すぐにバプテスマを受けたのです。そこから、彼は180度変えられ、ダマスコで、ユダヤ人たちにイエス・キリストは神の子であると力強く証し、周囲の者達は驚きを隠せませんでした。
 人は自分の力で新しく生まれる事は出来ません。御霊によって私たちは新生を経験するのです。
 そして、人は、人の努力でここまでの変化をする事は到底できません。しかし、信仰を持ち、聖霊に満たされたサウロは、誰に習い、学んだわけでもなく、福音を宣べ伝え始めたのです(第一テモテ2:7新約P.419)。
 サウロを選ばれ新しくされたお方は、あなたも同じように選ばれ、遣わしておられるのです。

10.祈祷・・一  同
寺東真也師
11.献金271 ひと度はわれも(救いの喜び)・・・・一同
12.感謝祈祷 ・・指  名
13.頌栄63 父 御子 御霊の(過去の礼拝録音です) 一同起立
14.祝祷・・・・・・寺東真也師
15.報告・・・・・・司会者

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第29主日親子礼拝式順序 2023年7月16 日 午前10:30〜

1.黙祷・・・一 同
2.賛美206 飼い主わが主よ (臨在) ・・一同起立
3.使徒信条・・一  同
4.主の祈り・・一  同
5.祈祷・・・・一同着席
6.賛美291×2回 神の国と神の義 (信仰)・・一  同
7.三大祷告
 再   臨
 イスラエル
 日   本
8.聖書・・・・司 会 者
9.メッセージ・・・寺東真也師
 主題 「イエスの勝利」
 聖句 マタイ4:1〜11新約P.5

講壇 「イエスの勝利」
      マタイ4:1〜11

『イエスは答えられた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばで生きる』と書いてある。」』(マタイ4:4)

 イエス様は公生涯に入られる前に、荒野で悪魔の試みに遭われ、見事に勝利されました。イエス様は神の御子であられお方なので、勝利する事は当たり前であると同時に、私たちの手本となる為に、私たちと同じ弱さを抱えてなお、勝利をされた事に大きな意味があります。私たちも信仰の創始者であり完成者であられるイエス様から、勝利の秘訣を学ばせていただきましょう。

○御霊にみちびかれて

 人生において試練は節目ごとにあるものです。それは、決して喜ばしいものではありません。しかし、その試練さえも、神様は益と変えてくださり、信仰の成長のために用いられるのです(第一ペテロ1:7新約P.465)。イエス様は、御霊の導きの中で、あえて、悪魔の試みに遭われるために、御霊に従われたのです。私たちも試練に遭った時の備えをする事ができるのです(第一ペテロ4:12)。

1. 神のことばがなくては

 まず、イエス様が悪魔の試みに勝利された一つ目の秘訣は、みことばの重要性を心から理解し、知っておられた事です。
 イエス様は40日間断食をされ、肉体的には限界をとうに超えている状況でした。その空腹はピークを過ぎて、極限状態にあり、細胞はエネルギーを求めて悲鳴を上げている状況でした。そんな中で、悪魔は、信仰やみことばなど、空腹や肉体の死の前には無意味であることを突きつけながら、
「あなたが神の子なら、これらの石がパンになるように命じなさい。」
と言ったのです。もちろん、人間には生きて行く上で食物は欠かせません。しかし、悪魔の本意を知っておられたイエス様は、
「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばで生きる』と書いてある。」(4節) と答えられたのです。

2. 神中心の生き方

 二つ目の秘訣は、人間中心の生き方ではなく、神中心の生き方で生きる事です。人間の為に神様がいるのではなく、神様のために人間は造られた存在なのです。
 悪魔はみことばを巧妙に使用して、人間中心的な神様との関係を植え付けようとします。イエス様にも、高い神殿の頂きに立たせて
「「あなたが神の子なら、下に身を投げなさい。『神はあなたのために御使いたちに命じられる。彼らはその両手にあなたをのせ、あなたの足が石に打ち当たらないようにする』と書いてあるから。」(6節)
と言いました。しかし、イエス様は、人間が神様を試みてはならないとみことばを通して拒否されたのです。神様を便利屋にするのはやめましょう。

エスにこそ救いがある

 三つ目の秘訣は、私たちの救いは神の子なるイエス・キリストにのみあるという事です(使徒4:12新約P.239)。悪魔は、イエス様に、妥協して自分にひれ伏せば、十字架ぬきで、この世の全てを与えようと言いました。しかし、イエス様は断固拒否され
「下がれ、サタン。『あなたの神である主を礼拝しなさい。主にのみ仕えなさい』と書いてある。」(10節) と答えられたのです。この世の富や栄華は過ぎ去るものです。本当の救いは、イエス・キリストの十字架と復活抜きにあり得ないのです。

10.祈祷・・一  同
寺東真也師
11.献金459 世人は敵に(霊の戦い)・・・・一同
12.感謝祈祷 ・・指  名
13.頌栄63 父 御子 御霊の(過去の礼拝録音です) 一同起立
14.祝祷・・・・・・寺東真也師
15.報告・・・・・・司会者

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第28主日礼拝式順序 2023年7月9日 午前10:30〜

1.黙祷・・・一 同
2.賛美324 主と主の言葉に (信頼) ・・一同起立
3.使徒信条・・一  同
4.主の祈り・・一  同
5.祈祷・・・・一同着席
6.賛美147 起きよ夜は明けぬ (再臨)・・一  同
7.三大祷告
 再   臨
 イスラエル
 日   本
8.聖書・・・・司 会 者
9.メッセージ・・・寺東真也師
 主題 「導かれ導く人」
 聖句 使徒8:26〜40新約P.249

講壇 「導かれ導く人」
      使徒8:26〜40

『するとその人は、「導いてくれる人がいなければ、どうして分かるでしょうか」と答えた。そして、馬車に乗って一緒に座るよう、ピリポに頼んだ。』(使徒8:31)

 初代教会の最初の役員であったピリポの働きはサマリアから、神様の導きでエルサレムからガザに下る道へと向かいます。

○導かれる人ピリポ

 「さて、主の使いがピリポに言った。「立って南へ行き、エルサレムからガザに下る道に出なさい。」そこは荒野である。」(26節)
 ピリポはステパノの殉教から始まった大迫害のゆえに、不可抗力でエルサレムから散され、サマリアにやってきました。しかし、ピリポはサマリアの地で文句ひとつ言わず、そこを導きの地として、力強いしるしをもってキリストを証し、福音を宣べ伝えた結果、多くのサマリア人が信仰を持つに至ったのです(12節)。
 サマリアのリバイバルはピリポにとっても大きな慰めであり、喜びであった事でしょう。そして、これから更に、サマリアで福音宣教が拡大し、大きな実を結んでいくように思えたに違いありません。
 そのような時に、主の御使いがピリポに現れて導きを与えられたのです。しかし、その導きは、耳を疑うようなものでした。行き先は『エルサレムからガザに下る道』であり、そこは、人っ子一人いない『荒野』であったからです。
 ピリポはどうしたでしょうか。救われる可能性の高い人々がいるサマリアから荒野に行けと言われる導きにピリポは従ったのです(27節前半)。
 私たちの計画、私たちの作戦も大切でしょう。しかし、もっと大切なのは主に従う事です。従ったものには必ず、報いがあります。荒野にある道に着いたピリポは、そこに、エチオピア人の女王カンダケの高官で、女王の全財産を管理していた宦官のエチオピア人に出会うのでした。

○導き手ピリポ

 御霊はすぐにピリポに語り掛けます。
「「近寄って、あの馬車と一緒に行きなさい」(29節)
ピリポが近寄っていくと、馬車からイザヤ書53章が朗読されていました。エチオピアの宦官は、真の神様を求める熱心な求道者で、この日もエルサレムへ礼拝しに行った帰り道だったのです。
 ピリポはすぐさま、語り掛けます。
「あなたは、読んでいることが分かりますか」(30節)
すると宦官は答えました。
「「導いてくれる人がいなければ、どうして分かるでしょうか」(31節)
 神様は人を導き、キリストへの導き手として用いられるお方です。ピリポはこの聖書箇所から始めて、イエスの福音を伝えました。(35節)
 すると、エチオピアの宦官はすぐさま福音を受け入れ、バプテスマを授けて欲しいとピリポに交渉しました。ピリポは信仰告白した宦官にバプテスマを授けました。信仰者に地位の高さや低さは関係ありませんが、社会的に影響力のある宦官が救われた事は、後のエチオピア宣教に少なからず影響を与える事になった事でしょう。

○伝道者ピリポ

 宦官の受洗後、ピリポは御霊によってアゾトに現れ、そこからカイサリアに住むようになりました(39〜40節)。そこで、彼は伝道者として、用いられたのです(使徒21:8)。

10.祈祷・・一  同
寺東真也師
11.献金349 移りゆく時の間も(恵みの成長)・・・・一同
12.感謝祈祷 ・・指  名
13.頌栄63 父 御子 御霊の(過去の礼拝録音です) 一同起立
14.祝祷・・・・・・寺東真也師
15.報告・・・・・・司会者

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第27主日礼拝式順序 2023年7月2日 午前10:30〜

1.黙祷・・・一 同
2.賛美317 わが友 主イエスは (信頼) ・・一同起立
3.使徒信条・・一  同
4.主の祈り・・一  同
5.祈祷・・・・一同着席
6.賛美437 行きて告げよあまねく (宣教)・・一  同
7.三大祷告
 再   臨
 イスラエル
 日   本
8.聖書・・・・司 会 者
9.メッセージ・・・寺東真也師
 主題 「福音宣教の止まらぬ拡大」
 聖句 使徒8:1〜5新約P.248

講壇 「福音宣教の止まらぬ拡大」
      使徒8:1〜5

『「しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。」(使徒1:8)

 御霊に満たされたステパノの殉教から、エルサレム教会は激しい迫害を受けるようになりました。

○悲しい事が続く

 エルサレム教会ではステパノを悼み、葬りの時が持たれました。喪に服する暇もなく、サウロはこの機会を逃さず、クリスチャンの家々に押し入って教会を荒らしました。
 その迫害は日増しに激化し、使徒たち以外はユダヤとサマリヤの諸地方に散らされてしまったのです。
 ペンテコステから始まった福音宣教は拡大の一途をたどっていましたが、一挙に信仰の危機を迎えたかのように見えました。

○聖霊の火は消えない

 後に、この迫害の首謀者であったサウロ事、パウロは変えられて、次のように言っています。

「私たちは四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方に暮れますが、行き詰まることはありません。迫害されますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。私たちは、いつもイエスの死を身に帯びています。それはまた、イエスのいのちが私たちの身に現れるためです。」(第二コリント4:8〜10新約P.359

 このエルサレム教会への大迫害を通して教会は散されてしまいました。しかし、「散らされた人たちは、みことばの福音を伝えながら巡り歩いた。」(4節)と記されています。散された人々は御霊と共に散され、散された先で福音を宣べ伝えたのです。

○ユダヤからサマリヤへ
1.信徒が用いられる

 エルサレム教会の配給問題の際に選ばれた7人の中のピリポという信徒が、めぐり歩きながら、サマリアの町に下り、そこで福音を伝えました(5節)。ここで再度、確認しておきたい事は、ピリポは信徒であったという事です。12使徒のピリポではなくです。それを踏まえたうえで、サマリヤでの宣教はどうなったと言うと、ピリポによって不思議と力ある業、そして癒しが行われ、サマリヤに大きな喜びがおこったのです(8節)。

2.間違った信仰

 また、サマリアの町で名の知れたシモンという魔術師がいたのですが、ピリポが力ある業を行うのを見て信仰に入り付き人になりました。そして、サマリアの人々が神のことばを受け入れ救われたことを聞いて駆け付けたペテロの祈りによって人々が聖霊に満たされていくのを見て、シモンはお金で権威を買おうとしました(18〜19節)。これにはペテロは嫌悪感を抱き、きつくシモンを叱責するに至りました(20〜23)。

3.聖霊の道備え

 「しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。」(使徒1:8)
 この後、ピリポは主の使いの導きにより、エルサレムからガザに下る道に導かれ、エチオピアの高官と出会い、救いに導きます(26節以降)。このエチオピアの高官は使徒の働きの中で最初に洗礼を受けた異邦人でした。ピリポの人生は神様が教会に用意された福音宣教の拡大の型です。サマリアから地の果てまでキリストの証人となるのです。

10.祈祷・・一  同
11.聖餐式49 しみも咎も(聖餐)・・・・寺東真也師
12.献金435 罪に沈む汝が友に(宣教)・・・・一同
13.感謝祈祷 ・・指  名
14.頌栄63 父 御子 御霊の(過去の礼拝録音です) 一同起立
15.祝祷・・・・・・寺東真也師
16.報告・・・・・・司会者

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第26主日礼拝式順序 2023年6月25日 午前10:30〜

1.黙祷・・・一 同
2.賛美359 罪深きこの身を (確信) ・・一同起立
3.使徒信条・・一  同
4.主の祈り・・一  同
5.祈祷・・・・一同着席
6.賛美465 いつかは知らねど (再臨)・・一  同
7.三大祷告
 再   臨
 イスラエル
 日   本
8.聖書・・・・司 会 者
9.メッセージ・・・寺東真也師
 主題 「聖霊に満ちた人」
 聖句 使徒6:1〜10新約P.243、7:54〜60

講壇 「聖霊に満ちた人」
      使徒6:1〜10、7:54〜60

『さて、ステパノは恵みと力に満ち、人々の間で大いなる不思議としるしを行っていた。』(使徒6:8)

 初代教会の時代、聖霊に満たされた弟子達を通して、イエス・キリストの福音は力強く宣べ伝えられ、信じる人たちは爆発的に起こされていきました(使徒2:47)。

○初代教会の初めての問題

 信仰者の交わりは素晴らしいもので、世にある人々は教会に対して好感を抱いているほどでした。しかし、救われたと言えども、人が集まる所には問題は起こるものです。初代教会の最初の問題は、ギリシャ語を話すユダヤ人のやもめがヘブル語を話すユダヤ人達になおざりにされ、配給に不公平が出ているという事でした。そこで、使徒たちは、教会運営の為のリーダーを7人選出する事によって問題解決に至りました。この七人は「御霊と知恵に満ちた、評判の良い人たち」(使徒6:3)でありました。これが、初代教会の最初の教会役員と言えるでしょう。

○聖霊に満ちた人ステパノ

 七人の選ばれし者たちのひとりにステパノという人物がいました。このステパノは初代教会で最初の殉教者でもあります。このステパノは聖霊により「信仰と恵みと力と知恵」(使徒6:3、5、8、10節)に満ちていました。

1.力に満ちたステパノ(使徒6:8)

「・・・力に満ち、人々の間で大いなる不思議としるしを行っていた。」(8節)
 ステパノには聖霊による力が満ち、しるしと不思議が伴ない、そのことばには力がありました。故に多くの人々は、信仰に導かれ救われていったのです(7節)。

2.知恵に満ちたステパノ(使徒6:3、10)

「彼が語るときの知恵と御霊に対抗することはできなかった。」(10節)  ステパノは聖書を良く知っているというだけでなく、聖書の言わんとする本質を見抜く洞察力を有していました。頭でっかちになり、権力主義に陥っていたユダヤ教徒から議論を吹っ掛けられても、御霊による知恵のことばは、理路整然として真理をまっすぐに解き明かしたのでした。

3.信仰に満ちたステパノ(使徒6:5)

「最高法院で席に着いていた人々が、みなステパノに目を注ぐと、彼の顔は御使いの顔のように見えた。」(15節)
 力と知恵に満ちたステパノに勝てないと思った者たちは、禁断の方法を選択します。それは、偽証をし、ステパノを陥れ、最高法院にてつるし上げるというものでした。しかし、信仰に満ちていたステパノはの顔は、訴えられ、不利な状況に置かれていることなど微塵にも感じさせず、その顔は御使いのようであったというのです。

4.恵みに満ちたステパノ(使徒6:8)

「そして、ひざまずいて大声で叫んだ。「主よ、この罪を彼らに負わせないでください。」こう言って、彼は眠りについた。」(使徒7:60)
 聖霊によって恵みに満ちたステパノは、理不尽の極みの果てに、石打のリンチで絶命する直前、自分に石を投げる者たちの為に祈りながら殉教しました。

10.祈祷・・一  同
11.献金406 主にありて生くるとき(献身・服従)・・・・一同
12.感謝祈祷 ・・指  名
13.頌栄63 父 御子 御霊の(過去の礼拝録音です) 一同起立
14.祝祷・・・・・・寺東真也師
15.報告・・・・・・司会者

x

第25主日礼拝式順序 2023年6月18日 午前10:30〜

1.黙祷・・・一 同
2.賛美340 救い主イエスと (恵みの成長) ・・一同起立
3.使徒信条・・一  同
4.主の祈り・・一  同
5.祈祷・・・・一同着席
6.賛美454 立ちあがれいざ (前進)・・一  同
7.三大祷告
 再   臨
 イスラエル
 日   本
8.聖書・・・・司 会 者
9.メッセージ・・・寺東真也師
 主題 「初代教会の光と影」
 聖句 使徒4:32〜5:11新約P.240

講壇 「初代教会の光と影」
      使徒4:32〜5:11

『そして、教会全体と、このことを聞いたすべての人たちに、大きな恐れが生じた。』(使徒5:11)

 聖霊に満たされた人々によって教会は数的にも質的にも成長しました。特に目を見張るのは、自然発生的に財産の共有がなされた事です。ユダヤ人にとって富や財産が増す事は神様からの祝福であり、信仰の結果の指標であったからです。そして反面、金持ちは献金で自分の信仰深さをアピールするようになっていました(マルコ12:41〜44新約P.95)。そのような信仰者の世俗化が深刻化する中で、教会では、キリストの体(エペソ1:23新約P.385)であり、神の家族(エペソ2:19)である教会の為に、自分の財産を献げたのです。
 するとそこに、神の恵みが注がれ、教会に属する人々はみな乏しい者がいなかったと記されています(使徒4:34)。教会は裕福になったわけではないでしょう。しかし、乏しい事はなかったのです(詩篇23篇旧約P.954)。

○光と影

 後に、使徒パウロと共に異邦人伝道へと派遣された(使徒13:1〜3)バルナバも御霊の導きの中で、所有する畑を売って、その代金を教会に献げました。彼は聖霊と信仰に満ちている人でした(使徒11:24)。
 ここまでは、聖霊の働きによる麗しい教会の姿を聖書は描き出しています。しかし、光のある所に影も存在します。
 アナニアとサッピラの夫婦は、バルナバをはじめ多くの人々がしているように、所有の土地を売ってお金にして、教会へ献げました。しかし、その献げたお金は売った金額の全額ではなく、一部を自分たちの為にとっておき、それを隠して、全て献げたという体をとったのです(2、8節)。
 結果的に、アナニアとサッピラは使徒たちと教会の前で、打たれて死んだのです(5、10節)。

○アナニアとサッピラの罪

 アナニアとサッピラは、自分の犯した罪のゆえに即死する事になったのですが、彼らの罪とはいった何だったのでしょうか。

1.全額を献げなかったからではない。

 絶対に誤解して欲しくないのは、献げる額が少なかったからとか、全額を献げなかったからとう理由ではありません。神様に与えられた富は与えられた人の自由にする事ができるのです。
「売らないでおけば、あなたのものであり、売った後でも、あなたの自由になったではないか。」とペテロも語っています。

2.献げる動機が問われる

 神様に献げることは、少額であろうが、大金であろうが、基本、素晴らしい献げものです。ただし、そこにその人の神様への心が、そして愛がこもっている事が一番大切です。しかし、アナニアとサッピラは、信仰と神様への感謝から献げたのではなく、自分も信仰深く見られたいという見栄や、形だけの信仰から献げることが同調圧力に感じたのかも知れません。

3.聖霊を欺き、試みた

 アナニアとサッピラの罪の本質は「聖霊を欺き、御霊を試みた」事です(3、9節)。赦されない罪はありません。しかし、御霊を冒涜することは赦されないのです(マルコ3:28〜29)。聖霊を冒涜するとは、内住くださる御霊をあえて、無視し消すことです(第一テサロニケ5:19新約P.413)。アナニアとサッピラは信仰深い行動を取りつつ、その実は、御霊を消し、信仰を捨て去っていたのでしょう。

10.祈祷・・一  同
11.献金393 献(ささ)げまつりし (献身・服従)・・・・一同
12.感謝祈祷 ・・指  名
13.頌栄63 父 御子 御霊の(過去の礼拝録音です) 一同起立
14.祝祷・・・・・・寺東真也師
15.報告・・・・・・司会者

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第24主日礼拝式順序(花の日) 2023年6月11日 午前10:30〜

1.黙祷・・・一 同
2.賛美420 雨を降り注ぎ (リバイバル) ・・一同起立
3.使徒信条・・一  同
4.主の祈り・・一  同
5.祈祷・・・・一同着席
6.賛美432 北の果てなる (宣教)・・一  同
7.三大祷告
 再   臨
 イスラエル
 日   本
8.聖書・・・・司 会 者
9.メッセージ・・・寺東真也師
 主題 「みことばを大胆に語らせてください」
 聖句 使徒4:23〜31新約P.239

講壇 「みことばを大胆に語らせてください」
      使徒4:23〜31

『彼らが祈り終えると、集まっていた場所が揺れ動き、一同は聖霊に満たされ、神のことばを大胆に語り出した。」(使徒4:31)

○止まる事を知らない宣教

 「美しの門」で生まれてから40年以上も足が不自由で歩けなかった男性が癒された事をきっかけに多くの人々が求道し、信者の数は男性だけで5千人を超えました(使徒4:4)。

○止める力

 しかし、この勢いに脅威を感じた祭司や宮の守衛長、サドカイ人達は、ペテロとヨハネを捕らえて留置しました。そして、ユダヤ教の指導者たちが集まり、二人を真ん中に立たせて尋問し、最終的にキリストの名を語ってはならないと脅して釈放したのでした(使徒4:15〜21)。

○それでも語る

「神に聞き従うよりも、あなたがたに聞き従うほうが、神の御前に正しいかどうか、判断してください。 私たちは、自分たちが見たことや聞いたことを話さないわけにはいきません。」(使徒4:19〜20)
 ペテロとヨハネは頑張って宣教していたのではありませんでした。語る事が神の御心である事を確信し、語らざるを得ない情熱に燃やさされていたからです(エレミヤ20:9旧約P.1327)。

○大胆に語る者へ

 この宣教の情熱はどこから与えられたのでしょうか。

1.仲間のもとへ

 信仰者は一人で戦っているのではありません。人は一人でいるように造られたのではないからです(創世記2:18旧約P.3)。信仰の火が燃え続ける為にも、神様は「教会」を与えてくださったのです。ペテロとヨハネは釈放された後、直ぐに信仰の家族である兄弟姉妹のもとへ帰り、指導者たちが告げた反対のことばを全て報告し、共有したのです(23節)。

2.心を一つに神に向かう(祈る)

 ペテロとヨハネの報告を聞いて教会がしたことは何だったでしょうか。緊急の会議でも、指導者たちに対抗する作戦を練ったのでもありません。心を一つにして神に向かって声を上げ、祈ったのです。何事でも、私たちがまずすべきことは、心を合わせて祈ることなのです。

3.現実(成就)と展望(約束)

 祈りの詳細から彼らの信仰に聞きましょう。まず、神の権能を認め、賛美しています(24節)。そして、苦しい現実さえも神のご計画の中にあり、御手にある事を告白しています(25〜28節)。最後に、みことばを大胆に語らせてくださいと願い、イエスの名によって、癒しとしるしと不思議を行わせてくださいと祈ります。そこにはイエス様の約束を信じ祈る彼らの信仰の姿を見る事が出来るのです(マルコ16:15〜20新約P.105)。

○聖霊に満たされて

 祈りがささげられるとすぐに、集まっていた場所が揺れ動き、教会は聖霊で満たされ、神のことばを大胆に語り出したのです(31節)。
 私たちにも同じ聖霊が既に与えられています。この時代においても、聖霊に満たされ、神のことばを大胆に語らせて頂きましょう。

10.祈祷・・一  同
11.献金434 語り告げばや (宣教)・・・・一同
12.感謝祈祷 ・・指  名
13.頌栄63 父 御子 御霊の(過去の礼拝録音です) 一同起立
14.祝祷・・・・・・寺東真也師
15.花感謝贈呈・・教会学校生徒
16.報告・・・・・・司会者

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第23主日礼拝式順序 2023年6月4日 午前10:30〜

1.黙祷・・・一 同
2.賛美317 わが友 主イエスは (信頼) ・・一同起立
3.使徒信条・・一  同
4.主の祈り・・一  同
5.祈祷・・・・一同着席
6.賛美437 行きて告げよあまねく (宣教)・・一  同
7.三大祷告
 再   臨
 イスラエル
 日   本
8.聖書・・・・司 会 者
9.メッセージ・・・寺東真也師
 主題 「私たちにあるもの」
 聖句 使徒3:1〜10新約P.236

講壇 「私たちにあるもの」
      使徒3:1〜10

『すると、ペテロは言った。
「金銀は私にはない。しかし、私にあるものをあげよう。ナザレのイエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」』(使徒3:1〜6)

 イエス様の復活を目の当たりにし、その後、約束の聖霊に満たされた使徒たちは、恐れることなく、その生活を信仰によって歩み始めます。その歩みは、神の力に満たされていたので、多くの救われる者が増し加えられて行きました。

○美しの門にて

 エルサレムにある東側の城壁に「黄金門」と呼ばれる大変美しい門がありました。別名を「美しの門」と言います。材質はブロンズ(銅)であり、金や銀で装飾されていたと言われます。救い主メシアはこの門を通られると伝えられており、人気のスポットでもあったようです。
 人の集まる所には、物乞いをする人も集まります。ユダヤ教においても施しをする事は美徳であり、推奨されていました。美しの門にはある一人の足の不自由な男性が、いつものように、人々に連れて来てもらい、一日中物乞いをして暮らしていたのです。
 晴れやかな美しの門とは対照的な自分の人生に、悲観しながらも、その日を精一杯に、そしてガムシャラに生きる男性の姿がそこにありました。

○祈りの生活は宣教体質

 ペテロとヨハネは3時の祈り(日暮れの祈り)を捧げるために、宮に上りました。そして、美しの門において、足の不自由な男性が二人に施しを求めてきたのです。
 祈りの生活をしていく時、信仰によって人生を送っていく時に、私たちの前に神様は、神様を必要とする人々を送られます。
 反対に、霊的な備えが十分でない場合、神様は人をお送りにはならない場合が多くあります。

○私たちにないもの

 ペテロとヨハネは、その男性を見つめ、そして「私たちを見なさい」と言います。そして、「金銀は私にはない」ときっぱり言い切るのです。いや、彼らには金銀どころか、名誉や立場、優れた能力など何もなかったのです。彼らは無学な凡人でした(使徒4:13)。
 しかし、ペテロとヤコブは弱い、何もない自分たちを知っていました。信仰者の自己認識の第一歩は自分の弱さ、罪深さ、足りなさを素直に認める所から始まります。

○私たちにあるもの

 ペテロとヤコブは自分にないものに悲観的になっているのではありません。「私にあるものをあげよう」と。それは、イエス・キリストを信じる信仰であり、内に居られるいのちの君を指し示す事でした。何もない自分に、神様はとても素晴らしいお方をくださった事を証し、その御名によって、足の不自由な男性に癒しの奇跡が与えられたのです。
 イエスの御名の大きな力が働いた時、多くの者はペテロとヨハネのもとに来て彼らを見つめました。その時、ヨハネとペテロは、「どうして私たちを見つめるのか?」と言います。あくまでも、私たちにはない、しかし、死んで復活されたイエスにこそ、希望がある事を語ったのです。

10.祈祷・・一  同
11.聖餐式49 しみも咎も (聖餐)・・寺東真也師
12.献金275 信仰こそ (信仰)・・・・一同
13.感謝祈祷 ・・指  名
14.頌栄63 父 御子 御霊の(過去の礼拝録音です) 一同起立
15.祝祷・・・・・・寺東真也師
16.報告・・・・・・司会者

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